・その子(弟)が亡くなって母親が抑うつ的になったと思うのです。そういうことはぼくはぜんぜん覚えていませんが、母親は、もうお経ばかり読んでいたらしいです。本当にお経ばかり。
・高校の教師やったらぼくは絶対に超一流になってみせる。教えるのも好きやし、実際「河合塾」(丹波篠山の地元での塾、その後の全国の「河合塾」より早く)をやってたでしょう。
・小島先生が言われたことは、「中学校とか高校の教師は同じことを教えているので自分たちが進歩しなくなる。なんにも進歩しない人間というのは魅力がない。自分は国文学についているも研究している。それは学会から見れば大したことないかも知らんけれども、自分なりにずっと研究は続けている。自分がどこかで進歩しているということを、中学生、高校生にはなにも教えないのだけれど、みんな感じているんじゃないか。だから、べつに数学でなくてもいいから、自分が進歩し続けられるものをしっかりと持っている限りは高校の教師になってもいいと自分は思う」ということを言われた。
それでいいこと聞いたと思ったのですけど、数学では進歩しないことはもうわかっているので、それだったら子どもの心理の研究、つまり心理学が必要だ、と考えたのです。もちろん、私自身が人間の「こころ」ということについて強い関心をもっていたこと、それに兄弟が個性がことなるので、お互いに、お前の性格はこうだとか、よく話し合ったりしていたので、人間の「こころ」について知りたい気持ちも強かったのです。
・とにかく自分の抱いている京大のイメージが大きいから、数学もできないし(神戸高専から京大の数学科入学)、音楽(フルートを少し演奏できたので京大オーケストラ入部)もできないし、つまり劣等生であるという気持ちが強かったですね。
・『黄金の壺』ホフマン著
・三年間高校の教師をして、それからつぎに天理大学に変わるんですが、ここのところにじつはいろいろ大事なことがあるのです。要するに、臨床心理学というものをやっていくほどわかってきたのは、日本にはこの分野の指導者はいないし、非常に大事なことであるのにまるきり無視されている、ということです。初め高校の教師になるなんていっていたけども、どうしても臨床心理学をだれかが本式にやらないといかんという気持ちが強くなってきたのです。
・ロールシャッハをやりだして、高橋雅春さんのグループで読むのは英語ばかりです。そのときに、ブルーノ。クロッパーという人がいまして、ロールシャッハの旗頭ですごい本んを書いていた。その本をぼくらは読んでいたのです。・・・
それだったら、おもしろ半分にクロッパーに手紙書いたろういうて、「あなたの主催する『ジャーナル』を読んだらこう書いてあるが、ここはいくら考えてもこうとしか考えられない」と書いたのです。・・・そうしたら返事がきた。そうしたら返事がきた。そしてその返事がすごいんですよ、「これはああんたのほうが正しい。この『ジャーナル』を読んだ人はたくさんいるが、これに気づいたのはあなただけです」って。ぼくはものすごく感激しました。
それで僕はいっぺんにクロッパーが好きになったんです。すごい人やと思った。それでアメリカへ行こうと思ったのです。
・あるときに、親しくしていた人が若くして亡くなったのです。それは自殺だったのです。
それで、そのときに、もう臨床心理学をやめようと思ったんです。自分の親しい人の自殺が分からなかったのですから。そんなわけでわれわれに非常に理解のある先輩の精神科医で、鑑別所の所長や児童相談所の所長したりしていて、ぼくらの後見人みたいな感じだった林偹三さんという人がいたのですが、その林さんのところへ行って、「おくはいちばん身近なものの自殺がわからなかった。もうやめたいと思う」と言うたら、林さんが「身近なもののことは絶対にわからない」と言ったのです。「じつはぼくにもある。ほとんど同じ経験だ。あとで考えたら、それは身近なもに対してはずっと希望的観測をするからわからないのだ」と言うのです。すごいでしょう。他人に対しては客観的に見ることができる、というのです。
・ぼくは天理大学に行ってから結婚しました。結婚した相手はぼくが育英高校にいたときの同僚です。
専門は地理、社会科でしたね。三年間職場で顔を見合って結婚したんだから、これが純粋の見合い結婚だなんて言っていましたよ。
・そのうち講義中にクロッパーが「カヴァイー(河合)、おまえはどう思うか」と聞くんですよ。しょうがないから下手な英語でグニャグニャ言うたら、それでクロッパーはもうごくを認めてくれていたようです。それだけでわかったんですね。
・シューゲルマンが「おまえは夢は非科学的と言うけれども、どれほど調べて言ったいるのか」と質問するので、「そんなもん調べたことない」と答えたら、「何も調べずに、非科学的と断定するのは非常に非科学的である。だからやってみろ。一か月でも二か月でもいいからやって、こんなばかなことはないと思ったらすぐにやめたらいいだ。自分の体験を踏まえて、科学的か非科学的か判断したらどうか」というのです。「なるほど、うまいこと言うな」思うてね、「そんならやってみます。やってみますけど、もし夢を見なかったらどうなるんですか」と言ったら、「心配いらない、かならず見るから」と言う。
・シュピーゲルマンのところへ10回ほど会いに行った頃、ジュピーゲルマンとクロッパーが相談して、おまえは絶対にスイスのユング研究所へ行けと言うんですよ。そして、資格を取ってユング派の分析家になるべきだと言うんです。
・基本的にはずっとUCLAにいたわけですが、フルブライトは1年だから、1年たったところでみんなはもう帰るのです。ところが、クロッパーがぼくをリサーチ・アシスタントにしてくれた。リサーチ・アシスタントは給料がよかったんです。三か月間のリサーチ・アシスタントだったんだけども、さらに三か月延ばして、結局1年半いたんです。
・渡米前にロールシャッハをずっと研究してきたことが生きたというか、一挙に花開いたわけです。自分は自分なりに考えていたことを言ってみるとそれが認められる。そして、もっと広い視野で考えることができるわけですからね。
・初めは僕が夢の話をしたら、向こうがパッと解釈を言うてくれると思っていたのです。ところが、そうじゃないんですね。その夢に対してぼくの連想を聞くんです。その連想をしゃべっているうちに自分で気がついていくんです。それを彼がちょっと言い換えるわけです。
たとえば、いちばん印象的だったのは、それは長い夢なんですが、長い夢のなかで、ハンガリーのコインをぼくが拾うんですよ。すごいコインを。ハンガリーのコインだと思ってみたら、そきに仙人が描いてあるんです。それで、「エーッ?」と思う。
そうすると、シュピーゲルマンは「ハンガリーについてお前は何を連想するのか」と聞くんです。それで、ぼくはハンガリーというのは東洋と西洋の間にあって、ぼくらは西洋のほうだと思っているけれど、音楽はものすごく日本的だというようなことを言うでしょう。そうすると、シェピーゲルマンが、「うん、そうだ、お前は東洋と西洋の間から貴重なものを獲得する」って、こういうふうに言う。そういうふうに言い換えるんです。夢をちょっと変えるのですね。ぼくの連想を入れて言うんです。ぼくは「ほぉー」と思いましたね。
・『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル著
・結局1年半アメリカにいて、一度日本に戻ってくるのです。そして帰国する前にクロッパーとシュピーゲルマンがユング研究所に推薦状を書いてくれたのです。しかし、すごいことですね。二人の推薦状だけでユング研究所はぼくに奨学金を出すと決めるわけですから。
・『アメリカの神話的世界』山口昌男著
・メダルト・ボスの主張する現存在分析というのはハイデッガーの哲学に由来しています。
・クライアントの自殺未遂(著者がスイス人を分析)
やりだしたものの、やっぱりそんなにうまくいかない。そうしているうちに、その人が自殺未遂をしたんです。それで、ぼくはリックリンのところへすぐ飛んで行って、「彼が自殺未遂をした。問題は、自殺しそうだということをぼくがぜんぜん予想していなかったことだ」と言ったのです。・・・
そうしたら、リックリンが、そういう場合は自分がその人にすぐアウト言うんですよ、命がかかっているのだから。そしてリックリンはぼくのクライイアンとを呼び出して会ったんです。・・・
最後に自分(リックリン)が彼(クライアント)に言ったのは、「あなたの話を聞いていると、自殺というのは非常にたいへんなことだというような言い方をされるけれども、そんなのは人類の歴史始まってから山ほどあったんだ。だから、あなたは自殺をしたかったら、その一人としてどうぞやっていただきたい。しかし、カワイがかわいそうだからカワイと関係なくやっていただきたい。だから、いますぐカワイの分析はやめたと宣言して、ユング研究所とは関係ありませんと言ってほしい。その上で死んでください」ということだと言うんです。
そうしたら、その人から電話がかかってきて、ぜひ続けてやりたというわけです。
まあ、本気でないということをリックリンは見抜いているのですが、あれには感心しました。バッと会うというのもすごいことですしね。
しかし、そういうことを言うのは実際にはとても難しいのです。下手をしたら本当に自殺してしまうでしょうから。結局この人とは帰国するまで分析を続けます。
・少なくとも三人のちがうスーパーバイザーに頼まねばならない。なぜかというと、スーパーバイザーにはそれぞれ癖がありますから、一人だけだとパターンが決まってしまうので、少なくとも三人というわけです。ぼくはおもしろいから、もっと多くの人につきましたが。
・これもすごく印象に残っているのですが、ユングは『易経』のドイツ語訳に序文を書いたりしています。だから、ユング派には易の好きな人が多い。それで易を立てたりしているのですね。
・イタリア人は外向のよさそのものを持っていると言うのです。しかしそれに比べてアメリカ人は強制された外向なんだと。
・『影の獄にて』ヴァン・デル・ポスト著
・「答えは問処に在り」(禅の言葉)
感想;
常に自分のこれからについて考え、かついろいろな人のアドバイスを生かして、それに上手く活用されたようです。
「人生の流れに掉さす」の言葉がぴったりの生き方のように感じました。
ロールシャッハの実践と研究が米国留学でも役立ちました。
その前に、フルブライト奨学金を得るために必死に勉強されました。
ユング研究所は米国留学先の先生二人のアドバイスと推薦状がきっかけです。
箱庭療法だと、日本にもなじみやすいということで広げられました。
当時ユング研究所では箱庭療法はまだ認められる前に、開発者の下で学ばれています。
大いなる好奇心を持っていろいろなことにチャレンジされています。
そして何より人が好きで、人との関係性構築が素晴らしいと思いました。
そこには本音でぶつかって行かれたからでしょう。
何かやりたいことを見つけて、それを一生懸命やってみる。
そこからいろいろな可能性が広がって来るので、そのチャンスを生かすことなのでしょう。
河合隼雄先生は、まさにそれを実践されて来られたように思いました。
まさかご自分が日本でのユング研究の第一人者、そして京大の教授、臨床心理士学会の会長、文化庁長官になるとは想像だにされなかったと思います。
ユングやユング研究所が易占を行っているのは、いかにもシンクロニシティを言っているユングらしいと思いました。
占いは最初からいい加減だと思い込んでいましたが、でもあれだけ人を惹きつけている。きっと何かあるのではと思いました。
やらずに占いはいい加減だと決めるのは良くないと思ったのです。
たまたま会社の近くの文京学院大学の社会人セミナーで”易占”の6回コースがあり、受講しました。
そこで分かったことは、人は悩みます。迷います。そしてどの道を選択するのが良いのか迷います。その時易占をやるのです。易占は256通りを四書五経の易経に書いてあるその箇所の言葉、視点から考えることで、より深くその選択肢を考えることができるのです。
そして占いは高度なカウンセリング/コーチング/キャリアコンサルティングだと気付きました。