将来は人を助ける看護師になりたい――。その想いを抱いて高校から看護学校に進学したものの、16歳でうつ病を発症したというsakiさん(Twitterアカウント@sakik75069246)。その後、自殺未遂から事故で両足を切断し、車いす生活を余儀なくされた。それから3年、現在19歳になった彼女は、Twitter上で障害やうつ病についての発信を続け、そのツイートが多くの人の支持を集めている。そんな彼女に、現在に至るまでの経緯や発信を続ける意義を聞いた。
今は「誰かのためにできることをしたい」とツイッターなどSNSの発信に力を入れるsakiさん
高校進学後、家庭不和や教師との意見の相違からうつ病を発症
「2022年11月には右足を再切断しました。腰から下は不全麻痺が残っていて、事故から3年が経った今でも入院と手術の繰り返しですね」と語るのは、19歳のsakiさん。16歳までは神奈川県で暮らす普通の女子高生だったが、そんな彼女に異変が生じたのは高校進学がきっかけだった。
「将来は看護師さんになりたいと思って、高校から看護学校に通い始めました。でも、学校の先生と馬が合わず、怒られることが続き、次第に『学校に行くのがつらいな』と思うように……。タイミングの悪いことに、同時期に両親の仲が悪化して、家にいても全然気が休まらなくなりました」
学校と家という両方の居場所を失ってしまったことで、心のバランスは徐々に崩壊。入学からわずか1か月後のゴールデンウィーク明け頃から、毎朝起きることに苦痛を感じるようになった。最初は遅刻しても学校へ通っていたものの、次第に学校は欠席するように。
「その状態が1~2か月ほど続いた6月末、『自分はうつ病かもしれない』と気がついたんです。看護系の学校に通っていたので、事前にうつ病についても多少知識があったんですね。病院に行ったらやはりうつ病と診断され、治療を進めました。家でゆっくりしたのがよかったのか、夏休み明けには学校に再び通えるようになっていきました」
小学生のときはジャズバンドでトロンボーンを吹いていたsakiさん。コンクールで賞を獲得したこともある。中学からはクラリネットに変更し、今でもたまにクラリネットを吹いているという
もう死にたい――衝動的に電車に飛び込んだ
しかし、久しぶりの通学でストレスが高まっていったのか、症状は再び悪化し、「死にたい」という想いが日常的に頭をよぎるように。そんな中、11月のある日、教師と進学の話をする中で「死にたい」との気持ちが頂点に達してしまう。
「親から学校へは『うつ病になった』という連絡は伝わっていたのですが、担当の先生から『病気だからといっても、授業をちゃんと受けないと留年するよ!』と強い口調で指導を受けたんです。先生は私を留年させたくない一心だったと思うのですが、責められているような気持ちになってしまって。看護学校の先生だから、うつ病にも理解があるはずだと期待していたのも良くなかったんでしょうね」
教師と話をしているうちに、「留年」というキーワードが強く心に突き刺さり、どんどん気持ちが沈んでいった。
「自分では留年してもいいと思ってたのですが、先生と話をした後に『留年しちゃダメなんだ。なんとか3年で卒業しなきゃいけないんだ。でも、毎日出席できる自信もない……』と絶望的な気持ちになってしまって。その日の夕方、『もう死にたい』という想いが高まり過ぎて、衝動的に駅のホームから電車に飛び込んでいました」
家族に会って「生きていてよかった」と思えた日
飛び込んで電車にはねられたものの、身体が車両の下に潜ったことでなんとか一命はとりとめた。だが、片足が車輪の下敷きとなった。
「足がひかれた瞬間、『死にたいのに、足がひかれただけじゃ死ねない』と冷静だった記憶があります。その後、救急隊の人に助けられて手術へ。なんとか命は助かったものの、麻酔から目覚めたときは本当に落ち込みましたね。ひどい言いぐさだと思うんですが、『こんな私が助かってしまった。もっと助けるべき命があるのに、どうして私の命が助けられてしまったんだろう』と……。ただ、その後に親と祖父母が面会に来て泣かれたときに、『あぁ、家族にまた会えた。生きていてよかった』と初めて思えました」
そこからは1年間の入院を余儀なくされたが、リハビリに前向きに取り組むようになって、少しずつ心の安定を取り戻していったという。
「最初は筋トレなどが多かったので『本当にこれをやって意味があるのかな』と疑う部分も大きかったんです。でも、次第に自分が回復している様子が目に見えてわかって、だんだん熱心に取り組むようになりました。リハビリで身体が動くようになるにつれて、自分自身の『死にたい』という気持ちも収まっていったように思います」
ディズニーランドに車いすで行けるほどに回復
事故から3年。ハードなリハビリを続けた結果、今では東京ディズニーランドまで小さな弟と妹を連れて3人で出かけるほどアクティブな日々を送っている。
「最初は近所のコンビニくらいまでしか行けなかったのですが、少しずつ距離を伸ばして、ディズニーランドにも行けるようになりました(笑)。昔から親が忙しく、妹と弟と3人でどこかに行くのが好きだったので、前と同じように行ける場所が増えて嬉しいです」
きょうだいや入院友だちと公園に行って過ごしたりもするsakiさん
しかし、治療はまだ続いている。2022年11月には骨髄炎で右足を再切断。そのほか、腰の床ずれ対策など向き合う問題は山積みだという。
「今でも『自分なんていなくなってしまえばいい』と思うことはあります。でも、『自分なんていらない存在だから死のう』とまでは思わなくなりました。事故によって多くの人に迷惑もかけたし、身体もこんなことになってしまった以上、決して『事故があってよかった』とは思えませんが、事故を通じて家族や友人などの大切な存在に気づかされました」
「今でも『自分なんていなくなってしまえばいい』と思うことはあります。でも、『自分なんていらない存在だから死のう』とまでは思わなくなりました。事故によって多くの人に迷惑もかけたし、身体もこんなことになってしまった以上、決して『事故があってよかった』とは思えませんが、事故を通じて家族や友人などの大切な存在に気づかされました」
「誰かのためにできることをしたい」とTwitterを開始
そんな彼女が2022年1月頃から始めたのが、Twitter上での情報発信。その発信の根源にあるのは「誰かのために、できることをしたい」という想いだった。
「昔から『他人のためになることをしたい』という想いが強かったんです。看護師を目指したのも、それが動機のひとつでした。でも、事故で足を失ってから、入院中に『自分にできることはなんだろう』と強く考えるようになって。そこで思いついたのが、スマホを通じてうつ病の辛さや障害について発信すること。私の存在を知ってもらうことで、『こんな人もいるんだな』と心が救われる人がいたらいいなって思いました」
発信を始めると、あっという間にフォロワーは増え、1年足らずで約6万7000人に。当初は日に日にフォロワーが増えることに、驚きを隠せなかったという。
「電車に飛び込んで死のうとして、すごくたくさんの人に迷惑をかけている自分が、こんなにたくさんの人に応援してもらっていいのかな……と思うことは多々あります。でも、私自身もそうでしたが、自分自身を『うつ病だ』と認めて誰かに伝えるのはすごく時間がかかるし、ハードルが高い行為です。結果、誰に助けを求めていいのかがわからなくなるし、居場所も失うし、孤独になる。だからこそ、自分の体験を話せる私が、誰かの孤独をなくせるように、伝えられる範囲で気持ちを代弁できたらなって思っています」
「電車に飛び込んで死のうとして、すごくたくさんの人に迷惑をかけている自分が、こんなにたくさんの人に応援してもらっていいのかな……と思うことは多々あります。でも、私自身もそうでしたが、自分自身を『うつ病だ』と認めて誰かに伝えるのはすごく時間がかかるし、ハードルが高い行為です。結果、誰に助けを求めていいのかがわからなくなるし、居場所も失うし、孤独になる。だからこそ、自分の体験を話せる私が、誰かの孤独をなくせるように、伝えられる範囲で気持ちを代弁できたらなって思っています」
こうした発信を通じて、実際、「私も過去に電車に飛び込んだことがあります」という人や、「私も闘病中です」という人からメッセージが来ることも増えたという。
「もちろん送られてくるのは、好意的な意見ばかりじゃありません。時には『人身事故を起こすなんてとんでもない』『お前みたいな迷惑なやつ、いなくなればいい』などと誹謗中傷のメッセージが来ることもありますが、それも一つの意見だと思って、受け止めるようにしています」
伝えたいのは「今見える景色がすべてではない」ということ
SNS上での発信を通じて共感してくれた人たちから講演会の依頼が届くこともあり、自身の障害や病気について話すことにも意欲的になっている。
「もともと人前で話すのは得意ではなかったのですが、こうした日々の気付きの発信を通じて、より多くの人に障害や病気に対する認識が広まればいいなと思っています」
箱根旅行にも出かけたsakiさん。すれ違った方が坂道を押してくれたり、電車、バス、ロープウェイ、ケーブルカーのすべてで車椅子対応してくれたことに感激
そして、取材の最後に「これだけはぜひお伝えしたい」とsakiさんは言葉を続けた。
「今、病気や障害によって苦しんでいる方は日本中にたくさんいると思うんです。そんな方々に『今見えている景色がすべてではない』と伝えたいです。私の場合は、『3年間で卒業するのが普通だから、留年してはいけない』との言葉がネックになって、衝動的に電車に飛び込み、両足を失ってしまいました。でも、時間が経ってみれば、留年なんてたいしたことじゃなかったし、あんなに真剣に思い詰める必要もなかった。特にうつ病になると視野が狭くなりがちですが、今見えている景色はほんの一部で、その先にある景色はもっともっと広いんだってことを心に留めてもらえればと思います」
【プロフィール】saki
高校入学後にうつ病となり、16歳のときに自殺未遂で両足を切断。「誰かのためにできることをしたい」という想いから、2022年1月頃からTwitterで発信。今は、「障害やバリアフリーなどの理解を深めたい」と講演会などにも取り組みたいと考えている。
取材・文/藤村はるな
「今、病気や障害によって苦しんでいる方は日本中にたくさんいると思うんです。そんな方々に『今見えている景色がすべてではない』と伝えたいです。私の場合は、『3年間で卒業するのが普通だから、留年してはいけない』との言葉がネックになって、衝動的に電車に飛び込み、両足を失ってしまいました。でも、時間が経ってみれば、留年なんてたいしたことじゃなかったし、あんなに真剣に思い詰める必要もなかった。特にうつ病になると視野が狭くなりがちですが、今見えている景色はほんの一部で、その先にある景色はもっともっと広いんだってことを心に留めてもらえればと思います」
【プロフィール】saki
高校入学後にうつ病となり、16歳のときに自殺未遂で両足を切断。「誰かのためにできることをしたい」という想いから、2022年1月頃からTwitterで発信。今は、「障害やバリアフリーなどの理解を深めたい」と講演会などにも取り組みたいと考えている。
取材・文/藤村はるな
感想;
うつ病になるとどうしても視野が狭くなります。
自殺したいと思った時は既にメンタルを病んでいるのかもしれません。
1)誰かに話す
2)医者に行く
そしてなにより、今結論を出さないことです。
うつ病の時は、人生の重大な判断をしてはいけないと言われています。
正しく判断できなくなっているのです。
でも苦しくて、今の辛さから逃げたいと思いで自殺を選択してしまう人もいます。
サキさんはそういう人にメッセージを発信し続けられています。
「生きていれば、何とかなる」
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