「ゼロ-なにもない自分に小さなイチを足していく-」 堀江貴文著 から一部引用し、惹かれた点をまとめてみました。ホリエモンは努力の人です。努力を努力と言わないのはまさに生きがいを持って取り組んで来たのでしょう。
これまで僕は精いっぱい突っぱって生きてきた。
弱みを見せたら負けだと思い、たくさんの敵をつくってきた。
自分でもわかっている、どこまでも不器用な生き方だ。
そして僕は逮捕され、すべてを失った。
いまの僕の心の中はとても静かだ。
久しぶりに経験するゼロの自分は、意外なほどにすがすがしい。
もう飾る必要はないし、誰かと戦う必要もない。
いまなら語れる気がする。
ありのままの堀江貴文を。
それは僕にとっての、あらたな第一歩なのだ。
福岡県八女市に堀江家の長男(一人っ子)として生まれた。
家には本は一切なかったが百科事典だけがあった。
小学校の時は、その百科事典をずっと読んでいた。
父はお酒に弱く、巨人が負けるととても機嫌が悪くなり、肩を揉めだの、背中を踏めだの大きな声で命令し、不服そうなそぶりを見せるとすぐに手が出た。
堀江家の中でもっとも気性が激しかったのは、間違いなく母だった。
小学校時代、勉強はダントツだった。しかし、通知簿にはいつも「協調性がない」と書かれていた。先生からも、クラスメイトからもちょっとした問題児と見られることが多かった。そんな僕にはじめての理解者が現れた。小学校3年生の担任だった、星野美千代先生だ。僕を誉めてくれた。そして、3年生の終わりごろ、「あなたはここにいたらもったいない。八女から出ないと、ずっとこのままよ。久留米に『全教研』という進学塾があるから、そこに行きなさい。そうすればあなたみたいな友達が何人もいるはずだから」。久留米大学附設中学を受験し合格した。星野先生がいなかったら今の僕はなかっただろう。
中学時代にコンピューターに出会った。NECのPC8801が欲しかったが20万円と高額で、それを買うために新聞配達をした。そしてプログラミングにのめり込んだ。だんだん成績が落ちてしまって、親にPCを棄てられてしまった。高校2年までは享楽的な生活になってしまった。麻雀をしたりゲームセンターにたむろしたりした。
今後どうしたいか?やはり行くなら東京だ。しかし、東京の私立には親は行かせてくれない。学費を理由に九大に行けと言われるだけ。東大なら親は文句を言わないだろう。高校3年生の時に東大はF判定(上からA,B,,C,D,E,F)だった。国語は百科事典を読んでいたので、そこそこできた。数学と理科は今から頑張っても無理。だったら文系で入って入ってから学科を変えればよい。問題は英語。英語力が足らないのは単語だと。単語を例文も含めて丸暗記した。2ページ/1日。そうしたら最後の模試ではC判定まで上がった。幸い東大に現役で合格した。
駒場の寮に入って、勉強するより麻雀漬けの毎日だった。友達にヒッチハイクに誘われ日本を旅行した。10~20回ほどヒッチハイクをお願いすると誰かが乗せてくれた。その時に効果があったのが東大の学生証だった。ヒッチハイクで断られてもお願いする、まさに営業活動である。これがその後の大きな自信に繋がった。
東大で勉強しても先が見えているように思った。塾の講師のアルバイトをやっていたが、このままだと周りの色に染められてしまう。何か新しいことはないかと探していた時に出会ったのが、プログラミングだった。中学の時にのめり込んでいたので自信があった。最初は時給900円から始まった。やっている内にインターネットに出会った。このインターネットに無限の可能性を感じた。そして仲間と一緒にITの会社を創った。
人が新しい道を踏み出そうとする時、次へのステップに進もうとする時、そのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。つまり、「掛け算の答え」(ラクをしながら成功したい)を求めているあなたはいま、「ゼロ」なのである。そしてゼロになにを掛けたところでゼロのままだ。物事の出発点は「掛け算ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこからはじまるのだ。
僕はお金が欲しくて働いているのではない。やりがいのある仕事をしたい。やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。
多くのビジネスマンは、自らの「労働」をお金に換えているのではなく、そこに費やす「時間」をお金に換えているのだ。時間とは有限なものだ。お金はもらうものでなく、稼ぐものである。お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。
もし、あなたがポジティブになりたいというなら、やるべきことはシンプルである。うじうじ悩んでないで、働けばいい。ネガティブなことを考える人は、ヒマなのだ。
時間とは「命そのもの」。だからこそ、僕らは、「自分の時間」を生きるのか、それとも「他人の時間」を生かされるのか、を常に意識化しておく必要がある。仕事の質は「集中力×時間」で決まるものだ。人生には「いま」しか存在しない。過去を振り返っても事態は変わらず、未来に怯えても先へは進めない。かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。脇目も振らず集中すること、将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていく。
最後にひと言だけ、メッセージを贈って終わりにしたい。
「はたらこう」