幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「女優・半世紀の挑戦 あきらめなかったいつだって」 森光子著 ”100年後のあなたへ”

2015-08-18 01:33:33 | 本の紹介
41歳で初めて主役を貰えた。「放浪記」は50年、2009年に2000回を達成した。文化勲章受章。

女学校に入ったが、母が肺結核で死去し、女学校を1学期で中退し少女歌劇への夢をあきらめ、従兄弟の嵐寛寿郎(鞍馬天狗)のプロダクションに14歳で入った。戦争が激しくなり仕事もなくなり、慰問隊の歌手として戦地を訪問したりした。終戦後はジャズ歌手として進駐軍キャンプへの巡業も行っていた。29歳の時に肺結核になり、偶然出会った同級生の先が病院で、当時高価だったストレプトマイシンを注射して貰い、よく効いて助かった。
38歳の時、ダイマル・ラケットと共演した舞台『あまから人生』で、洗濯物を干すシーンの8分間に台本がなくく「8分間よろしく」とだけ書かれていたため、アドリブで当時のヒット曲『船方さんよ』、『お月さん今晩は』、『有楽町で逢いましょう』、『俺は待ってるぜ』の4曲を歌った。偶然にも空港へのハイヤーを待っている間に劇場に入って森の演技を見ていた東宝の菊田一夫に誘われて菊田一夫の作品にでるようになった。菊田からは「君はあれだよ、越路みたいにグラマーでもないし、宮城まり子のように強い個性もない。だから、脇役でいくんだね」と言われた。
あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ」 いつか主役になりたいと思っていた。

100年後の皆様への中で(森光子さんからのレター)
「私がここまでお芝居を続けてこられましたのは、私が物ごとをかんたんにあきらめなかったからかもしれません。物こどには、あきらめていいときと、まだあきらめてはいけないときがございます。私はどんなに苦しくてもなかなかあきらめない性質でした。もしかしましたら、それがいい結果につながったのでございましょうか。人生、あきらめたらそこで終わってしまいます。ですから、私は大事なときはいつも次の言葉を頭の中から引っ張り出して自問自答します。『もうあきらめていいか、まだ投げてはいけないか』と。若い人は、若さという素晴らしいものをお持ちですから、おsれを忘れず、自分と向き合って今の時間を精一杯生きてください。そうすれば、きっと輝くことができます。誰でも、長い積み重ねの中から未来への道が開けてきます。かんたんにあきらめず、投げず、焦らず、そして人への感謝を忘れなければ、きっとバラ色の未来が開けるはずでございます。」

感想;
森光子さんは、若い時から主役をやって来られたと思っていました。
TVでよく出られていたので。でもその時は「放浪記」に出演を続けながら、TVのお母さん役として出られていたのでした。

「生きている兵隊」 石川達三著 ”戦争は国民に知らせないことから始まる”

2015-08-17 00:52:25 | 本の紹介
http://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/07b49d4ce45de7c1ce0e17789edd84ac
石川達三氏が中国南京などを訪問した体験記から「生きている兵隊」を執筆し、中央公論で出版されました。当時は、言論弾圧があり新聞も含め出版物は全て規制されていた。
たとえば中国娘を殺害する場面、弾丸にあたって瀕死となった母親を抱いて無く続ける娘を、日本兵たひははじめかわいそうに思いながら、夜通し泣き続ける声に次第に苛立ってくる。ひとりの一等兵が銃剣を抱いて駆け出す。
「えい、えい、えいッ!」
まるで気が狂ったような癇高い叫びをあげながら平尾は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あたりを・・・・・・・・・・・・・・・・・。他の兵も各々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まくった。ほとんど十秒と・・・・・・・・・・・・。平たい一枚の  (空白の二文字は蒲団)のようになってくたくたと・・・・・・・・・・・・。興奮したへのほてった顔に・・・・・・・・・・・・・・・・・・むっと暑く流れてきた。

と検閲で問題になるか所は伏字として出版された。ほかにも、日本兵が慰安所に繰り出す場面などに、空白がある。
それでも発刊禁止なった。しかし、伏字のものが一部で回った。そのため、石川達三は召喚され取り調べを受け、禁錮四カ月執行猶予三年の罪になった。

今回、伏字がないものを読んでみました。
問題と思われる箇所を下記にあげます。

・捕虜は足手まといになるので、公には言われていないが、その場で射殺するようにしている。
・12歳の中国人少女がいた。通りすぎたら後ろからその少女がピストルで撃って来た。直ぐにその少女を射殺した。小さくても女性でも誰が撃ってくるかわからないため、殺す対象になってしまう。
・寒かったので、殺されたばかりの中国人の温もりで暖を取った。
・母親を殺されて夜中ずっと泣いている少女がいた。その鳴き声がうるさくて、射殺した。静寂が戻ったが、その静寂が返って射殺した者の心を苦しめた。
・兵士が服を着替えて民間人に混じって逃げようとしていた。民間人と兵士の区別がつかない。
・現地で食料を調達するようにとの命令が出ている。
・中国人女性の慰安所が出来ていた。敵国兵士(日本人)相手に、30分/1人で相手をしていた。
・中国人の女性がいた。欲望があり、女性を裸にした。しかし、裸にする言い訳が必要だったので、スパイかもしれないからと付け足した。暗号のような数字の書いてあるメモを持っていたので、銃剣で胸を突き刺して殺した。

上記の箇所は伏字(*****)となったりした箇所だと思います。伏字が多くても結局出版禁止になり、石川達三氏や出版会社の関係者が逮捕され、罪を問われました。
戦争は人を悪魔にもしてしまいます。相手を殺さないと自分が殺されてしまいます。また、上官の命令で捕虜の殺害をしなければなりません。しかし、戦後の裁判で捕虜を殺害したとしてC級戦犯が処刑されました。その人は捕虜を殺害したくなかったのです。しかし命令に背くと処刑されます。
戦争は人を悪魔にしてしまいます。決して戦争をしない。それ以外の道を探らないといけないのです。


「本物には愛が-みんな一緒- 黒柳徹子」 ”100年後のみさんへ”

2015-08-16 03:21:04 | 本の紹介
「本物には愛が-みんな一緒- 黒柳徹子」 アナウンス室インタビュー
「人間が本当に優しかったり、
愛に満ちていたりしないと、
いい俳優にはなれないってことが、
いろんな人に会ってわかってきました。
やっぱり根底に深い人間相とか、
そういうものもがないと。」

トモエ学園の校長先生の「本当は、君はいい子なんだよ」
飯沢先生の「いまのままでいいです。君の個性が欲しいから」
このお二人の言葉がなければ、私はぜんぜん違った道に行ったと思います。
きっとね。何をやっても「いけない」って言われて、どうしていいかわからない大人になっていただろうなって思います。

病気になって、退院のときに院長先生に「私、死ぬまで病気したくないんですけど、どうやるんですか?」って伺ったら、「こういう質問は、初めてだ」って。でも、「自分が進んでやれる仕事だけをやりなさい」と。進んでやれる仕事をやっているとね、肉体の疲れは寝れば治る。だけど、嫌だな、嫌だなと思っている仕事だと、嫌な気持ちはたまっていく。「自分が進んでやれる仕事だったら、病気にはならないと思う。でもできるかな」って先生がおっしゃったので、それ以来、自分が進んでやれる仕事だけをやるようにしようと心掛けて、ずっと仕事をやっていました。

それからどんなに親しい方でも下調べしてもらいます。どんなに親しくても、なあなあにならないように、そこはね。まあずいぶん、なあなあな人もいますけど、でも、やっぱりそこはちゃんと尊敬しているっていうことを表す感じで。そういうふうにして、面白いお話を聞く、というのが、やっぱり大事だと思います。

三国連太郎さんは、戦争から帰って来て仕事もないし、お金もないので学校のときのお友達がね、ペニシリンか何かの会社を、築地の向こうでやっている。そこの会社に入れてもらえないかと思って行く途中、信号待ちをしていたんですって。松竹が後ろにあって、そうしたら松竹の木下恵介監督が、主役がいなくて探していて、「あなた、俳優になりませんか?」と言われて、「月給いくらです?あっちでもらえそうなのよりも、高ければ行きます」と答えたら「もっと出すから」って言われて俳優になったとかね。
三船敏郎さんも仕事がなくて東宝に、カメラをやったことがあるからカメラマン募集しているそうだからと聞いて行ってみたら、「やっていないから、ニューフェイスに行ってください」って言われて、ニューフェイスに行って。で、「笑ってください」とか言われたけれど、「そんな、笑えって言われたって笑えない」で、もう駄目で帰ろうと思ったら、その中の監督のお一人が、ちょっと呼び戻してって。三船さんは駅でね、来た電車に乗らなかったんですって。それでね、どうしようかなと思っていたら「もう一度戻ってください」って言われたんです。
だからね、「これでいいんだろうか・・・」って、私、自分がそうだったからわかるんです。自分には才能はないんじゃないとか、できるかなって、そういう疑問があって。本当にスターになりたくてなった方じゃないものだから、やっぱりこれでいいのかなっていうのがいつもあって。そういうものがあった方が案外長いっていうことが、『徹子の部屋』をやっていてわかりましたね。
徹子さん自身、たまたま見た新聞にNHKの募集があってそれで申し込んだ。試験はほとんだできなかったが、採用されたそうです。
一番大事なのは、愛があるということ

100年後のみなさんへ
「(略)私がユニセフの親善大使になった三十年前は、年間1,400万人の子どもが地球上で死んでいました。それが、いまは660万人に減っています。100年後はもっと減っているだろうと、私は信じています。それから、日本の子どもたちも大きな希望を持って、みんな生き生きと生きていける世の中になっていることを本当に望みます。そして、もちろん、世界中が平和なことを望みます。(略)
若い人だち、100年後、素晴らしい世の中にしてください。お願いしますね。」


<終戦の日>天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式 ”反省が追加!”

2015-08-15 13:32:34 | 社会
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20150815k0000e040171000c.html 毎日新聞
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

感想;
今年は「過去を顧み、(さきの大戦に対する深い反省と共に)」の()内が追加されたそうです。
反省することで、その失敗が次に生かされるのだと思います。
ところが安倍首相は戦後70年に米国に約束した”集団自衛権”を成立させることに一生懸命です。
米国のために日本は戦争のリスクを高める必要があるのでしょうか?
安倍首相が勝手に約束したことのために、十分な議論もせずに急いで成立させる必要があるのでしょうか。
日本の目指すべき安全はこの機会にもっと話し合ってもよいのでしょうか。
平和を標榜する創価学会の一部の方も声を上げだしました。どう考えても教え(日蓮宗-戸田城聖二代目会長-池田三代目会長)に反しているとの思いからでした。まさに創価学会も本当に平和を標榜する党なのかどかが問われているように思います。安倍首相の要望に沿うのは選挙協力を得たいからで、自分たちの主義主張よりも優先している創価学会の上層部の考えのようです。
その前に、自民党内からの声が上がらないのが恐ろしい気がします。もっと多くの考えがあり、自由に発言できたのが自民党だったのではないでしょうか。
天皇陛下のお言葉「戦禍が再び繰り返さないことを切に願い」 まさに多くの国民の声ではないでしょうか。

佐野氏謝罪「スタッフが第三者デザイン写す」景品問題 ”佐野氏のデザインがうたい文句では?”

2015-08-15 11:30:00 | 社会
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/sports/ASH8G7WBRH8GUTQP02S.html 朝日新聞

2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムを手掛けた佐野研二郎氏がデザインを監修したサントリービールの景品が発送中止になった問題で、佐野氏は14日、スタッフが第三者のデザインを写して使ったことを明らかにし、謝罪した。代表を務める事務所のホームページで声明を出した。

 佐野氏は「第三者のものと思われるデザインをトレースし、そのまま使用するということ自体が、デザイナーとして決してあってはならない」とし、社内の連絡体制やスタッフ教育が不十分だったと認めた。サントリーには佐野氏からデザインの取り下げを伝えた。

 ただ、東京五輪のエンブレムはスタッフとの共同制作でなく、個人応募だったと強調。ベルギーの劇場のロゴマークとの類似が指摘されているが、改めて盗用を否定した。

 20年大会組織委員会は「(景品のデザイン問題は)他社の案件で組織委とは無関係である。エンブレムについては、問題は全くないとする立場に変わりはない」との考えを示した。

MR-DESIGN(佐野研二郎氏事務所)
http://www.mr-design.jp/

感想;
予想通りのコメントでした。
模倣したのはスタッフがやったこと。管理が不十分だった。管理責任を感じている。
これは国会議員の問題を起こした時のコメントと同じです。
直近では、小渕優子議員のコメントで、その後の報告もなくうやむやです。

今回のサントリーのデザインは佐野研二郎氏がデザインしたものとのキャッチフレーズです。
実は、ご本人でなくスタッフだったと言うことになり、サントリーの虚偽になります。
スタッフが盗作されたなら、取り下げた8点のデザインは何人のデザイナーが関与したのでしょうか?

東京五輪のデザインは個人応募とのことですが、事務所からの応募ではなかったのでしょうか?
模倣されたベルギーの施設は、裁判所に使用差し止めを訴えました。
五輪エンブレム ベルギーのデザイナーが提訴http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150814/k10010190151000.html

東京五輪は、新国立競技場で問題を抱え、エンブレムのデザインで盗作疑惑がでています。そのデザイナー佐野研二郎氏はサントリートートバックの作品での盗作は認めていますがスタッフのせいにしています。

佐野氏はこれで沈静化してくれるのを期待されているのでしょう。
東京五輪のエンブレムを見るたびに、盗作疑惑の起きているデザインだと思い出しそうです。
ここは新規にデザインを再募集されてはと思うのですが・・・。
今どうするか、その選択が大切だと思います。