平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「小心者的幸福論」 雨宮処凛~生きることは無条件に肯定されるべきものだ。許可制であってはいけない

2023年08月06日 | エッセイ・評論
『小心者的幸福論』(雨宮処凛・著 ポプラ社刊)にこんな文章がある。

 私は「ダメ」な自分も「ダメ」な他者も心の底から肯定したいと思っている。
 なぜなら、今の世の中は「とにかく常に競争に勝ち抜いた上に生産性が高く、いつもスキルを磨く努力を怠らずに即戦力になれる人間であれ」的な市場原理に過剰に適応しろというメッセージを発しているわけで、そんな圧力こそがいわゆる「生きづらさ」のひとつの原因になっているからだ。
 誰も「常に生産性が高い」状態なんかで生きられない。
 というか、競争に勝ち抜いて勝ち抜いて勝ち続けないと「生きる」ことさえ認められないなんてこと自体がおかしい。
「生きること」とか「ここにいること」は条件つきで誰かに認められたりする種類のものではない。
 なのになんとなく「ダメ」だったり「役に立っていない」と思うと「こんな自分が生きてちゃいけないのでは?」なんて思いが頭をもたげてしまう。
 しかし、当たり前だが、生きることは無条件に肯定されるべきものだ。
「生存」は「褒美」であってはならないし、「許可制」であってもいけない。


 生産性の高い人間は素晴らしい。
 社会のお荷物は要らない。
 そんな風潮が世間に蔓延している。
 市場原理主義。
 これが「生きづらさ」の原因だと雨宮さんは語る。

「生きることは無条件に肯定されるべきものだ」
「許可制であってはいけない」

 そのとおりだと思う。

 雨宮処凛さんはこの本の中でこんなことも語っている。

 優しさを見せることは「つけ込まれる」ことと同義とされ、子供の頃から「そんなに優しかったら社会に出てからやっていけないぞ!」などと恫喝される。
 そんなふうに、人間本来が持っている当たり前の「優しさ」や他者に対する「思いやり」が奪われてきたことと、「生きづらさ」のようなものには深い関係があると思うのだ。
 優しくない社会は、誰にとってもつらい。


 優しさを見せることはつけ込まれること。
 確かにそうなんだよな……。
・優しい人間は食いものにされる。
・正直者はバカをみる。
 これは真実だ。
 でも……。

 僕は基本、合理主義者で、時折、他人に新自由主義的発言をしてしまうのだが、
 その後で反省する。
 自分自身も生きづらさを感じているのに。
 他人に無限に優しくなれれば、心の凝りがほぐれて楽になれるのに。

「生きることは無条件に肯定されるべきものだ」
「許可制であってはいけない」

 この言葉を噛みしめたい。
 
コメント (6)
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