「家康はここじゃ! 家康はここにおるぞ! さあ来い、共に行こうぞ。
乱世の亡霊たちよ、わしを連れていってくれ!」
家康(松本潤)は死にたがっているようである。
自分をただの人殺し、罪のある人間と考えている。
かつて苦楽を共にした家臣たちは他界して、家康は孤独でもある。
自分の死をもって乱世の亡霊たちを屠ろうと考えている。
乱世の亡霊とは、たとえば真田信繁(日向亘)だ。
信繁は言う。
「乱世を取り戻せ。愉快な乱世を生きよう」
茶々(北川景子)もそうだ。
「安寧な世が来れば日の本はつまらぬ国になる。
やさしい卑屈な者たちばかりの国になる」
大坂城の炎の中、狂気の表情でこう語る茶々はまさに亡霊だった。
家康は彼らを根こそぎ滅ぼさなくてはならない。
そして滅ぼした。
その結果、千姫(原菜乃華)からは、
「鬼じゃ、鬼畜じゃ、豊臣の天下をかすめ取った化け物じゃ」
世間からは「狡猾で怖ろしい狸」と指弾。
本質が「白兎」である家康にとってはつらいことだっただろう。
一方で「神格化」する動きも。
天海(小栗旬)は家康の美談ばかりを遺そうとする。
春日局(寺島しのぶ)は「神の君」として家康の業績を竹千代(家光)に語る。
しかし、家康にとって神格化は不本意なことだった。
ただ、ありのままの自分を理解してもらいたかった。
秀忠はそれを理解していて「立派な話ばかりを残すのはいかがなものか」と天海に釘を刺した。
竹千代(家光)も理解していたようで、春日局の話に耳を傾けず「白兎」の絵を描いた。
ありのままの家康を理解している者は他にもいた。
瀬名(有村架純)だ。
信康(細田佳央太)もそうだ。
そして家臣たち。
彼らは、臆病でやさしい「白兎」の家康を理解していたし大好きだった。
家康はやっと昔の自分に戻れた。
そこは楽しい安らぎの場所でもあった。
家康は天下を取ったが、別にそんなものは欲しくなかった。
本当に欲しかったもの、求めていたものは、家族や家臣との穏やかな時間だった。
「ようやりましたな。成し遂げられるのは殿だと申し上げたではないですか」
「殿、ありがとうございまする!」
家康はやっと救われた。
…………………………………………………………………………
ラストシーン。
瀬名と見つめる駿府城の景色の先に「現代の東京」があった。
現代の日本はどうなって行くのか?
乱世を求める亡霊たちが復活して、戦争をする国になるのか?
それとも、みんなで海老すくいをするような平和で穏やかな国になるのか?
たとえば、茶々の最期のせりふはインパクトがあって引っかかる。
「日の本がつまらぬ国になるであろう。
正々堂々と戦うこともせず、万事長いものに巻かれ、人目ばかりを気にし、
陰でねたみ、嘲る、やさしくて卑屈な者たちの国。
おのれの夢と野心のためになりふり構わず戦い抜く、
かつてこの国の荒れ野を駆けめぐった者たちはもう現われまい」
確かに現代日本は、茶々が語るような小者ばかりの国になっている気がする。
おそらくこれは平和のもたらした産物なのだろうが、これをどう考えるか?
櫻井よしこさんなんかが言いそうな言葉だが、これに共感する人は多くいるだろう。
僕自身も「それでも小市民的な社会がいいんだ」と完全に言い切れない。
石田三成が言ったように誰にでも乱世を求める心がある。
特に現在のような国際情勢が混沌として、閉塞感のある時代では。
…………………………………………………………………………
遊びもあった。
寺島しのぶさんのナレーションは、春日局が家光に家康の生涯を語っていたという設定だったんですね。
僕はこのナレーションが大仰すぎて違和感があったが、そう感じたのは正しかった。
家康自身も「神の君」と讃えられることが嫌だったからだ。
スタッフは視聴者に違和感を抱かせることを敢えて狙ったのだろう。
天海で小栗旬さん(北条義時)が登場。
源頼朝も後の人間が美化したから、立派な人物になったと内状を暴露。笑
天海が手にした本には「吾妻鏡」があり、次回作の「源氏物語」がある。笑
「どうする家康」
前半は否定的でしたが、後半は楽しく見ることができました。
最終回ラストで「鯉の話」を持って来て、幸せな時代を描いたことはお洒落な構成。
家康にとっては楽しい思い出だったんですね。
普通に回想を流すよりずっといい。
キャストの皆さん、スタッフの皆さん、1年間お疲れ様でした。
ありがとうございました。
乱世の亡霊たちよ、わしを連れていってくれ!」
家康(松本潤)は死にたがっているようである。
自分をただの人殺し、罪のある人間と考えている。
かつて苦楽を共にした家臣たちは他界して、家康は孤独でもある。
自分の死をもって乱世の亡霊たちを屠ろうと考えている。
乱世の亡霊とは、たとえば真田信繁(日向亘)だ。
信繁は言う。
「乱世を取り戻せ。愉快な乱世を生きよう」
茶々(北川景子)もそうだ。
「安寧な世が来れば日の本はつまらぬ国になる。
やさしい卑屈な者たちばかりの国になる」
大坂城の炎の中、狂気の表情でこう語る茶々はまさに亡霊だった。
家康は彼らを根こそぎ滅ぼさなくてはならない。
そして滅ぼした。
その結果、千姫(原菜乃華)からは、
「鬼じゃ、鬼畜じゃ、豊臣の天下をかすめ取った化け物じゃ」
世間からは「狡猾で怖ろしい狸」と指弾。
本質が「白兎」である家康にとってはつらいことだっただろう。
一方で「神格化」する動きも。
天海(小栗旬)は家康の美談ばかりを遺そうとする。
春日局(寺島しのぶ)は「神の君」として家康の業績を竹千代(家光)に語る。
しかし、家康にとって神格化は不本意なことだった。
ただ、ありのままの自分を理解してもらいたかった。
秀忠はそれを理解していて「立派な話ばかりを残すのはいかがなものか」と天海に釘を刺した。
竹千代(家光)も理解していたようで、春日局の話に耳を傾けず「白兎」の絵を描いた。
ありのままの家康を理解している者は他にもいた。
瀬名(有村架純)だ。
信康(細田佳央太)もそうだ。
そして家臣たち。
彼らは、臆病でやさしい「白兎」の家康を理解していたし大好きだった。
家康はやっと昔の自分に戻れた。
そこは楽しい安らぎの場所でもあった。
家康は天下を取ったが、別にそんなものは欲しくなかった。
本当に欲しかったもの、求めていたものは、家族や家臣との穏やかな時間だった。
「ようやりましたな。成し遂げられるのは殿だと申し上げたではないですか」
「殿、ありがとうございまする!」
家康はやっと救われた。
…………………………………………………………………………
ラストシーン。
瀬名と見つめる駿府城の景色の先に「現代の東京」があった。
現代の日本はどうなって行くのか?
乱世を求める亡霊たちが復活して、戦争をする国になるのか?
それとも、みんなで海老すくいをするような平和で穏やかな国になるのか?
たとえば、茶々の最期のせりふはインパクトがあって引っかかる。
「日の本がつまらぬ国になるであろう。
正々堂々と戦うこともせず、万事長いものに巻かれ、人目ばかりを気にし、
陰でねたみ、嘲る、やさしくて卑屈な者たちの国。
おのれの夢と野心のためになりふり構わず戦い抜く、
かつてこの国の荒れ野を駆けめぐった者たちはもう現われまい」
確かに現代日本は、茶々が語るような小者ばかりの国になっている気がする。
おそらくこれは平和のもたらした産物なのだろうが、これをどう考えるか?
櫻井よしこさんなんかが言いそうな言葉だが、これに共感する人は多くいるだろう。
僕自身も「それでも小市民的な社会がいいんだ」と完全に言い切れない。
石田三成が言ったように誰にでも乱世を求める心がある。
特に現在のような国際情勢が混沌として、閉塞感のある時代では。
…………………………………………………………………………
遊びもあった。
寺島しのぶさんのナレーションは、春日局が家光に家康の生涯を語っていたという設定だったんですね。
僕はこのナレーションが大仰すぎて違和感があったが、そう感じたのは正しかった。
家康自身も「神の君」と讃えられることが嫌だったからだ。
スタッフは視聴者に違和感を抱かせることを敢えて狙ったのだろう。
天海で小栗旬さん(北条義時)が登場。
源頼朝も後の人間が美化したから、立派な人物になったと内状を暴露。笑
天海が手にした本には「吾妻鏡」があり、次回作の「源氏物語」がある。笑
「どうする家康」
前半は否定的でしたが、後半は楽しく見ることができました。
最終回ラストで「鯉の話」を持って来て、幸せな時代を描いたことはお洒落な構成。
家康にとっては楽しい思い出だったんですね。
普通に回想を流すよりずっといい。
キャストの皆さん、スタッフの皆さん、1年間お疲れ様でした。
ありがとうございました。