漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0342

2020-10-06 19:39:04 | 古今和歌集

ゆくとしの をしくもあるかな ますかがみ みるかげさへに くれぬとおもへば

ゆく年の 惜しくもあるかな ます鏡 見るかげさへに くれぬと思へば

 

紀貫之

 

 過ぎ去って行く年が惜しいことだ。一年が暮れるだけでなく、真澄の鏡に映る自分の姿もまた、年齢とともに老いていくのだと思うと。

 「ますかがみ」は、よく澄んで曇りのない鏡の意。昔はいわゆる数え年で、暦の一年が終わると同時に人も年齢を加えますから、月日の経過に自分の加齢を重ねる感覚は現代よりもさらに強かったのでしょう。

 

 巻第六「冬歌」はこの貫之歌でしめくくり。明日からは巻第七「賀歌」が始まります。 ^^

 


古今和歌集 0341

2020-10-05 19:01:02 | 古今和歌集

きのふといひ けふとくらして あすかがは ながれてはやき つきひなりけり

きのふといひ けふとくらして あすか川 流れて早き 月日なりけり

 

春道列樹

 

 昨日、今日と日々を暮らして、明日からは新年。飛鳥川の流れのごとく、月日の流れのなんと早いことよ。

 「明日からは新年」の解釈は詞書の「年のはてによめる」より。年の瀬に改めて時の流れの早さを感じるのは、今も昔も変わらないのですね。^^

 


古今和歌集 0340

2020-10-04 19:00:15 | 古今和歌集

ゆきふりて としのくれぬる ときにこそ つひにもみぢぬ まつもみえけれ

雪降りて 年の暮れぬる 時にこそ つひにもみぢぬ 松も見えけれ

 

よみ人知らず

 

 雪が降り、年の暮れになって初めて、最後まで紅葉することのない松の気高さがわかることだ。

 色とりどりの花や綺麗に色づく木の葉などに目を奪われていたものが、雪が降り、年が変わる時期になって、凛として姿を変えることのない松の高貴さ、気高さに改めて気づいたという歌。論語子罕編の一節が元となっています。

 

子曰歳寒然後知松柏之後彫也

子曰わく、歳寒くして然る後に松柏の彫むに後るるを知る。

 

 気候が寒くなって初めて、他の草木がしおれてしまっている中にあって、松や柏は枯れずに残っているのが分かる。同様に困難に際して初めて、学問修養に努めている者の真価が分るのである。

 


古今和歌集 0339

2020-10-03 19:14:48 | 古今和歌集

あらたまの としのをはりに なるごとに ゆきもわがみも ふりまさりつつ

あらたまの 年のをはりに なるごとに 雪もわが身も ふりまさりつつ


在原元方

 

 毎年、年の終わりになるたびに雪は降り、わが身も年老いていくことだ。

 「あらたまの」は、「年」「月」「日」などにかかる枕詞。「ふり」は「降り」と「古り」の掛詞ですね。一年の終わりを詠んだ歌が続いて、巻第六「冬歌」も残り三首です。


古今和歌集 0338

2020-10-02 19:26:41 | 古今和歌集

わがまたぬ としはきぬれど ふゆくさの かれにしひとは おとづれもせず

わが待たぬ 年は来ぬれど 冬草の かれにし人は おとづれもせず

 

凡河内躬恒

 

 待ってもいない新しい年は来てしまうが、冬草は枯れ、離れていった人からは何の便りもないことだ。

 詞書には「ものへまかりける人を待ちて、しはすつごもりによめる」とあります。大晦日にあたって、確実にやってくる新しい年と、どこかへ行ったきり音沙汰もない待ち人とを対比して嘆息している歌ですね。「かれ」は「枯れ」と「離れ」の掛詞になっています。