漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0377

2020-11-10 19:23:31 | 古今和歌集

えぞしらぬ いまこころみよ いのちあらば われやわするる ひとやとはぬと

えぞしらぬ いま心みよ 命あらば 我や忘るる 人やとはぬと

 

よみ人知らず

 

 私にはまったくわかりませんが、さあ試してみてください。私の命が長らえたならば、私があなたを忘れてしまうのか、それともあなたが私の元に来なくなってしまうのか。

 この歌も、詞書と併せて読まないと理解することが難しい歌です。少し長いですが詞書をそのまま引用しますと、「紀むねさだがあづまへまかりける時に、人の家にやどりて、暁出でたつとて、まかり申ししければ、女のよみて出だせりける」とあります。紀むねさだという人物(不詳)が東国に旅立つに際して、想い合っているはずの詠み手の家からではなく、他の家に宿を取り、そこから早朝に旅立つと言った。それを聞いた詠み手が想像するのは「人の家」にいるであろう他の女性のこと。旅立ち前の最後の夜を自分ではなくその人とと過ごすという相手に対する、いわば恨み言の歌ということでしょう。

 


古今和歌集 0376

2020-11-09 19:08:13 | 古今和歌集

あさなけに みべききみとし たのまねば おもひたちぬる くさまくらなり

あさなけに 見べき君とし たのまねば 思ひたちぬる 草枕なり

 

 

 朝でも昼でもいつでも会えるとあてにできるあなたではないので、思い立って常陸への旅に出たのです。

 詞書には「常陸へまかりける時に、藤原のきみとしによみてつかはしける」とあることから、この歌の「君とし」には歌を贈る相手である藤原公利が、また「思ひたちぬる」には旅の行き先である「常陸」が詠み込まれていることがわかります。離別歌であると同時に、いわゆる「物名歌」でもある作ということですね。「あさなけに」は「あさにけに」が変化したもので、「け」は漢字で書けば「日」。
 作者の「寵(うつく)」は大納言源定(みなもとのさだむ)の孫とされる女性ですが、詳細は不明。古今集には三首が入集しています。

 


古今和歌集 0375

2020-11-08 19:05:38 | 古今和歌集

からごろも たつひはきかじ あさつゆの おきてしゆけば けぬべきものを

唐衣 たつ日は聞かじ 朝露の おきてしゆけば 消ぬべきものを

 

よみ人知らず

 

 あなたの旅立ちの日は聞かずにおきましょう。朝露の置くその日が来てあなたが行ってしまったら、私は露のように消え去ってしまうでしょうから。

 なかなか解釈が難しい歌です。「唐衣」は「裁つ」「着る」などにかかる枕詞で、ここでは「裁つ」と同音の「発つ」にかけています。さらに「おきて」は「置きて」と「起きて」の掛詞。「消ぬ」は「露」の縁語で、朝露の置く朝、その朝露と同じように自分もはかなく消え去ってしまうということ。


古今和歌集 0374

2020-11-07 19:53:05 | 古今和歌集

あふさかの せきしまさしき ものならば あかずわかるる きみをとどめよ

逢坂の 関しまさしき ものならば あかず別るる 君をとどめよ

 

難波万雄 

 

 逢坂の関よ、「逢ふ」という名にふさわしい関所であるならば、いつまでも開くことなく、名残り惜しいままに別れてゆくあの人をとどめておくれ。

 「逢坂の関」は京都と滋賀の境にあった関所で、その名から、関所自体が廃止された後も歌枕として歌に詠まれ続けました。「あかず」は「開かず」と「飽かず」の掛詞。「逢ふ」の名を持つまさにそこが別れの場所となる皮肉、ならばそこさえ開かなければ別れずに済むというかなわぬ思いを吐露した切ない歌ですね。

 作者の難波万雄(なにわのよろずを)は不詳の人物。古今集には本歌が唯一の入集です。

 

 作者は違いますが、つとに知られた百人一首(第10番)の歌を載せておきましょう。

 

これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

 

蝉丸

 

 


古今和歌集 0373

2020-11-06 19:52:35 | 古今和歌集

おもへども みをしわけねば めにみえぬ こころをきみに たぐへてぞやる

思へども 身をしわけねば 目に見えぬ 心を君に たぐへてぞやる

 

伊香子淳行

 

 思いを寄せてはいてもこの身を分けてついて行くことはできませんが、目には見えないこの心はあなたに寄り添わせて共につかわします。

 作者の伊香子淳行(いかごのあつゆき)は生没年等も含めて不詳の人物。
 この身はともかくせめて心だけでも、という思いは 0368 などとも共通しますね。