わかれては ほどをへだつと おもへばや かつみながらに かねてこひしき
別れては ほどをへだつと 思へばや かつ見ながらに かねて恋しき
在原滋春
別れてしまったら遠く距離を隔てることになると思うからか、こうして会っているうちからもう恋しく感じることだ。
すでに決まっている別れに、まだ現に会っているのにもう名残惜しさがこみあげて来ることを歌った惜別の歌です。
わかれては ほどをへだつと おもへばや かつみながらに かねてこひしき
別れては ほどをへだつと 思へばや かつ見ながらに かねて恋しき
在原滋春
別れてしまったら遠く距離を隔てることになると思うからか、こうして会っているうちからもう恋しく感じることだ。
すでに決まっている別れに、まだ現に会っているのにもう名残惜しさがこみあげて来ることを歌った惜別の歌です。
をしむから こひしきものを しらくもの たちなむのちは なにここちせむ
惜しむから 恋しきものを 白雲の たちなむのちは なに心地せむ
紀貫之
別れを惜しむうちからもう恋しくなるものを、白雲の立つはるか遠くまであなたが旅立ってしまった後には、いったいどんな心地がするのでしょうか。
詞書には「人のむまのはなむけにてよめる」とあります。「むまのはなむけ」とは 0369 でもご紹介した通り、送別の宴のこと。まだ実際にお別れする前からこれほどの恋しい気持ちになるのに、いざ実際に遠く離れ離れになってしまったら一体どれほどの気持ちにになるのか、と、まさに最大級の惜別の辞ですね。
かへるやま ありとはきけど はるがすみ たちわかれなば こひしかるべし
かへる山 ありとは聞けど 春霞 たち別れなば 恋しかるべし
紀利貞
かえる山という名の山があるとは聞いていますが、春霞が立って旅立たれたならば、あなたを恋しく思うことでしょう。
「かへるやま」は越前の国に存在した地名。そこにむけて旅立つ相手との別れを惜しむ歌。「たち」は霞が「立つ」と旅に「発つ」との掛詞になっています。
けふわかれ あすはあふみと おもへども よやふけぬらむ そでのつゆけき
今日別れ 明日はあふみと 思へども 夜やふけぬらむ 袖の露けき
紀利貞
今日別れても、明日は「会う身」との名を持つ近江に旅立つのだから、またすぐに会えるとは思うけれども、夜が更けたせいだろうか、袖が露に濡れている。
詞書には「・・・藤原清生(きよふ)が近江介にまかりける時に、むまのはなむけしける夜よめる」とあります。「むま」とは「馬」。旅立ちに際しては馬の鼻先を向かう方向に向けることから、餞別の金品を贈ったり送別の宴を行ったりすることをこのように表現するようです。「あふみ」は「会ふ身」と「近江」の掛詞。赴任先はさほど遠くないのだからまたすぐに会えるとは思うけれども、別れの寂しさに涙がこぼれる。その涙で袖が濡れるのを、夜が更けたせいだと強がって見せたというところでしょうか。
たらちねの おやのまもりと あひそふる こころばかりは せきなとどめそ
たらちねの 親の守りと あひそふる 心ばかりは 関なとどめそ
よみ人知らず
共に行くことはできないけれど、親が子を守るために寄り添わせるこの心だけは、関所といえどもとどめるでないぞ。
詞書には「小野千古が陸奥介にまかりける時に、母のよめる」とあります。小野千古(おののちふる)は小野道風の子。千古が陸奥の地方官として赴任するに際し、母親が詠んだ離別の歌ですね。「たらちねの」は「親」「母」に掛かる枕詞です。