漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

貫之集 040

2023-05-26 05:57:16 | 貫之集

つねよりも てりまさるかな あきやまの もみぢをわけて いづるつきかげ

つねよりも 照りまさるかな 秋山の 紅葉をわけて 出づる月影

 

秋の山も紅葉をかきわけるようにして出てくる月の光は、いつにもまして照り輝いていることよ。

 

 山全体が赤くそまったかのような秋の山々、その山間から顔を出す月、息を呑むような美しさが想像できますね ^^

 本歌は拾遺和歌集(巻八 「雑上」 第439番)にも採録されていますが、そこでは第三句「秋山の」は「山の端の」となっています。秋歌ではなく雑歌に分類されているのはそのためでしょうか。「紅葉」という言葉も入ってるんですけどね。。。(謎)


貫之集 039

2023-05-25 05:30:26 | 貫之集

かりにとて われはきつれど をみなへし みるにこころぞ おもひつきぬる

かりにとて われは来つれど 女郎花 見るに心ぞ 思ひつきぬる

 

狩りをしようと思って私はやって来たのだけれど、美しく咲く女郎花を見たらそれに心を惹きつけられてしまったことよ。

 

 「かりに」は「狩りに」と「仮に」の掛詞で、「仮に」の方で解釈すれば、「かりそめの気持ちで来たのに、相手の女性の美しさに本気で心を惹かれてしまった」といったところですね。「女郎花」はもちろん、美しい異性の比喩となります。


貫之集 038

2023-05-24 05:15:33 | 貫之集

かぜのおと あきにもあるか ひさかたの あまつそらこそ かはるべらなれ

風の音 秋にもあるか 久方の 天つ空こそ かはるべらなれ

 

風の音はもう秋が到来しているかのようだ。空では季節が秋に変わっているのだろう。

 

 「空こそ」は秋にかわっているのだろう、ということなので、暦の上ではすでに秋になっているのに、地上ではまだ夏の暑さが残っているのでしょう。「こそ」の2文字だけでそうしたことが表せるのは、良く考えるとすごいことですね ^^


貫之集 037

2023-05-23 06:37:47 | 貫之集

すみのえの あさみつしほに みそぎして こひわすれぐさ つみてかへらむ

すみのえの 朝満つ潮に みそぎして 恋忘れ草 摘みて帰らむ

 

住江の朝満ちて来る潮に禊をして、苦しい恋を忘れるという忘れ草を摘んで帰ろう。

 

 貫之が住江という地名と忘れ草を組み合わせて詠んだ歌は 007 にも、また古今集1111 (古今集に採録された最後の一首ですね!)にも出てきました。「姫松」と並んで、「住江」と聞けばすぐに連想される植物であったのでしょう。

 

 


貫之集 036

2023-05-22 05:22:32 | 貫之集

さはべなる まこもかりそけ あやめぐさ そでさへひちて けふやくらさむ

沢辺なる 真菰刈りそけ あやめ草 袖さへひちて 今日や暮らさむ

 

沢辺に生えた真菰を刈り除き、あやめ草を引いて袖まで水に濡れたまま、今日を暮らそう。

 

 第二句の「かりそく」は「狩り除く」で、「あやめ草」は「あやめ」ではなく「しょうぶ」のこと。和泉式部の歌に

まこもぐさ おなじみぎはに おふれども あやめをみてぞ ひともひきける

真菰草 おなじ汀に 生ふれども あやめを見てぞ 人も引きける

(和泉式部集 第二 第31番
 あやめと似ている真菰草が汀に生えているけれど、人は見分けてあやめだけを引き抜いてゆく)

というものがあり、真菰とあやめ草は水辺に一緒に生えていてしかも外見が似ているけれども、人はあやめ草を好み、選り分けてあやめ草だけを抜いていくという歌意には、関係ない第三者から見れば似たような外見であっても、特定の異性に恋焦がれる思いが込められているようです。本歌も同じで、袖を濡らしているのは、恋焦がれる気持ちからの涙であるのでしょう。