夏
つきをだに あかずとおもひて ねぬものを ほととぎすさへ なきわたるかな
月をだに あかずと思ひて 寝ぬものを 時鳥さへ 鳴きわたるかな
月が隠れてしまうのがもったいないと思って寝ずに眺めていたものを、時鳥まで鳴きわたってきたことよ。
月影がすばらしく寝てしまうのも惜しまれるほどであったのに、さらに時鳥の鳴き渡る声まで聞こえて来て、夏の夜の風情を満喫しているというところでしょうか。
夏
つきをだに あかずとおもひて ねぬものを ほととぎすさへ なきわたるかな
月をだに あかずと思ひて 寝ぬものを 時鳥さへ 鳴きわたるかな
月が隠れてしまうのがもったいないと思って寝ずに眺めていたものを、時鳥まで鳴きわたってきたことよ。
月影がすばらしく寝てしまうのも惜しまれるほどであったのに、さらに時鳥の鳴き渡る声まで聞こえて来て、夏の夜の風情を満喫しているというところでしょうか。
ここにして けふをくらさむ はるのひの ながきこころを おもふかぎりは
ここにして 今日を暮らさむ 春の日の 長き心を 思ふかぎりは
ここにいて今日は一日を暮らそう。春の日のようなのんびりとした気持ちを望ましく思う限りは。
詞書もないので歌そのものから想像を膨らますことになりますが、春の日ののどかな田園風景の屏風絵に添えられたものでしょうか。
いかにして かずをしらまし おちたぎつ たきのみをより ぬくるしらたま
いかにして 数を知らまし 落ちたぎつ 滝の水脈より ぬくる白玉
何とかして数えることができないだろうか。激しくほとばしって流れる深い川の水しぶきを。
「滝」には急流、早瀬の意味もあり、ここではそちらの意ですね。
やまのかひ たなびきわたる しらくもは とほきさくらの みゆるなりけり
山の峡 たなびきわたる 白雲は 遠き桜の 見ゆるなりけり
山々の間にたなびいている白雲は、実は遠い桜がまるで白雲のように見えたものだったのであるなあ。
遠い山間に密集して咲く桜を雲に見立てての詠歌。「見立て」は古今和歌集を特徴づけるレトリックの一つですが、鈴木宏子著「『古今和歌集』の創造力」に「見立ての達人・貫之」と題した記述があるように、貫之は中でも際立った手腕を発揮しているようです。
古今集 0059 には類歌と言って良い作も採録されていますね。
さくらばな さきにけらしな あしひきの やまのかひより みゆるしらくも
桜花 咲きにけらしな あしひきの 山のかひより 見ゆる白雲
紀貫之
やまかぜに かをたづねてや うめのはな にほへるさとに いへゐそめけむ
山風に 香をたづねてや 梅の花 にほへる里に 家ゐそめけむ
山風が運んでくる香りを頼りにでもしてこの地をたずね、梅の花が美しく咲くこの里に家を定めたのであろうか。
「にほふ」には、香る意に加えて「美しく咲いている」「美しく映えている」意があります。ここではそちらの意味ですね。梅が咲き誇る里に風情ある庵がぽつんと立っている絵柄でしょうか。