広尾の山種美術館で開かれている「大観と栖鳳-東西の日本画-」展に行ってきました。
日本画はこれまで文字通り食わず嫌い。わざわざ美術館に行って観るということをしたことがありませんでした。しかし、年初に柴田是真を観たことがきっかけで、毛嫌いせずに勉強してみようと思った次第です。
折しも、先にご紹介した高階先生の著作から、日本画、というよりもその背景にある日本特有のものの見方に改めて気付かされたこともあり、結論から言えばそういった意味でもとても勉強になる展示でした。
今回の企画は、ほぼ同時代に東(東京)と西(京都)で活躍した横山大観と竹内栖鳳を中心に据え、それぞれの流派を代表する画家の作品を概観するというもの。
まずは東軍。東京画壇の代表、横山大観です。朦朧とした空気のなか、こちらを向いたコノハズクが1羽。西洋画に比べると日本画は奥行きの表現が苦手な感じがしますが、この絵もまるで遠くから望遠鏡で覗いたかのような、その部分だけを切り取ったような見え方です。
(横山大観「木兎」1926年)
圧巻だったのはこちら。安土桃山時代から続く金碧障壁画の伝統を受け継いだ、豪壮な作品です。画面中央、圧倒的な存在感で迫りくる老松。上から垂れ下がる藤の花。上下左右を大胆に切り取った構図ながら、逆にその画面の外への広がりを感じさせるところが見事です。
(下村観山「老松白藤」(部分)1921年)
対する西軍、京都画壇の中心人物は竹内栖鳳。こちらはまた繊細極まりない描写によって、観る者をぐっと絵の方に引きよせる力があります。この作品も、どこにも水面の線が描かれていないにもかかわらず、それが藻の浮いた池の上に蛙が浮かんでいる絵だということが明確に伝わってきます。
(竹内栖鳳「緑池」1927年)
そして、その弟子筋に当たる福田平八郎。余分な背景を一切描かないことによって、そこに無限の広がりと奥行きを持たせています。
(福田平八郎「花菖蒲」1957年)
こうして改めて観ていくと、先にご紹介した高階先生の仰る、西洋画と日本画の大きな違い、例えば遠近感の処理の仕方や、画面の内と外の繋がりという点が、とてもよく分かります。これまでは絵を何も先入観や予備知識なしに「感じる」ことが一番大事だと思っていましたが、そこに歴史的な背景や文化的な影響に関する知識がほんのわずかに乗っかったとしても、その感じ方、受け止め方が損なわれる訳ではないようです。
何だかこれまでは内心そうやって頭でっかちになることを恐れていたのかも知れません。我ながら偏屈な話ですが、この歳になってようやくそんな気負いもなくなってきたので、これからはまた違った意味で純粋に、絵を楽しむことが出来るような気がします。貴重な体験でした。
大観と栖鳳-東西の日本画
山種美術館
2010年2月6日~3月28日
私が最も感動したのは、ルーベンスでした。
人それぞれ、感じ方や好みは違いますが、
月並みですが、長い歴史の中で評価されてきた
名画というのは、どれも一様に輝きを持っています。
そういう意味で今回のハプスブルクは、まさに選りすぐり。
眼福とはまさにこのこと。とても勉強になりました。
断じて野暮な問い掛けでは
ありませんでした。
1点に絞り込むのは意外と
楽しみをも伴うものでした。
改めて小生の好みを再認識する
好機となり、感謝致しています。
感謝繋がりで、選択に図録が役立ちました。
バロック・・楽しみにしています。
文泉
なるほど、ベラスケスですか。私はあの絵を観て、
ゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」を思い出しました。
光の当たり方が絶妙だなぁと思った記憶があります。
もうそろそろ、バロック&ルネサンス、第2弾が
届くはずです。ご期待下さい。
粋なご返事ができなくて、困って
います。
色調、構図、光の使い方等等
それぞれ個別には素敵な作品が
大量にあり数点に絞り込もうと
もがきました。
しかし、数点が10数点となりました。
で、2回とも鑑賞時間が1番長かった作品
を1点のみ、ご報告いたします。
ベラスケス<食卓につく貧しい貴族>
文泉
理解出来たような気がせず、絵葉書は送らずにおりました。
これからぼちぼち、謙虚に勉強したいと思います。
ハプスブルク、行かれたんですね。東山、懐かしいです。
上野も土日の昼間に行けば、随分と待たされます。
それが嫌でUターンしたこともしばしばです。
しかし、あのハプスブルクなら、並んでも観る価値があると思います。
因みに、聞くのも野暮ですが、お気に入りの絵は見つかりましたか?
ついに1
ついに日本画が登場しましたネ
新発見も期待しています。
ついに2
なんとか2回 東山の国博に行くこと
が出来ました。
魚花さんの記録を破ってから、
ご報告と考えていましたが
どうも無理なようです。
ハ展、大いに楽しんできました。
初めて30分待ちを経験しました。
先ずはご報告まで
文泉