本日5月21日で、このブログの開設から17年を迎えました(最初の記事はこちら)。
そして今日は、17年前と同じ土曜日。
ということで、というわけでもないのだけど、心機一転、ブログタイトルを変更し、テンプレートも、フラットテンプレートに戻しました。
(実は3月にさらっと予告していました(こちら))
「心機一転」は大げさだったかもしれないけれど、これからも、町ブラネタ中心という基本コンセプトで日々更新し続けたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
南幌町から江別市方面へ向かう道路。
「きらら街道」とあります。
どういう街道なのでしょう?
先ほどの交差点から少し進んだ所に、こんな標柱と解説板がありました。
ここにもまた、「夕張鉄道」の駅があったのです。
無人駅だったという「晩翠(ばんすい)」駅。
「晩翠」とは、南幌町の前身である旧幌向村にあった字(あざ)名の一つで、アイヌ語の「パンケ・ソウカ(下の滝の上)」が語源とされ、それが「バンゲソウ」となり、転じて「晩翠」となったということのようです。
かつての「幌向村」は、旧夕張川を軸に整備された「幌向運河」を利用した舟運によって発展した地域とされており、この語源でいうところの「滝」とは、その運河の入口付近とされているようです。
解説板があるからこうして分かるものの、何もなければ、このだだっ広い平野にかつて駅があったということは、全く想像がつかないです。
駅周辺の道路。
ここは、江別市と岩見沢市(旧栗沢町)を結ぶ広域農道で、平成初期の頃に人気が高まり、今に至る北海道米ブームの先駆けとなった品種「きらら397」の名前を取って「きらら街道」と名付けられました。
その大部分は、昭和50年(1975年)に廃止された、夕張鉄道の跡地を利用しています。
鉄道の跡地が道路として利用されている例は、全国各地に沢山ありますよね。
「きらら街道」を更に進んで、江別市内へと入ってきました。
ここに、この道路が線路跡地であることを示す痕跡があるのですが、何か分かりますか?
正解は、幹線道路に面していながら、沿線の住宅が、道路に対して背を向けているということです。
確かに、鉄道に面している住宅で、線路側に出入口のある住宅なんて、普通はないですよね。
無論、鉄道が廃止されて以降に建てられた住宅も多いと思いますが、地域全体がかつての鉄道を軸に整備されているので、新しい住宅でも必然的にこうなってしまうということなんでしょうね。
道路と住宅の間には、このとおり排水溝も。
これじゃ、新しい住宅が建っても道路側に出入口を作るのは困難ですよね。