新型コロナ感染が全国で再拡大する中、政府が観光支援事業「Go To トラベル」キャンペーンを7月下旬に始めたことでこれまで感染が目立たなかった地域では「誰がウイルスを持ち込んだのか」と感染者をつるし上げるような事件が起こって陰湿な感染者への差別が広がっています。さらに、時事通信が行った8月の世論調査で、安倍内閣の支持率は前月比2.4ポイント減32.7%、不支持率は同2ポイント増の48.2%と内閣府不支持率は増加していますが、コロナ対応の拙さからの八つ当たり、つるし上げなのかもしれません。
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〈さっさと帰ってください!! 皆の迷惑になります〉
お盆の帰省シーズンを前に、大都市のみならず地方都市でも新型コロナウイルスの感染が拡大。それにともなって地方では、感染者に対する強烈なバッシングだけでなく、東京から青森に帰省した男性の家に冒頭で紹介したような文面の手紙を投げ込む事態まで起きている。どうして日本では、こうしたコロナをめぐるバッシングが横行するのか。
他国以上に「コロナは自業自得」と考える日本
日本中で新型コロナウイルスの感染拡大が起こる中で、これまで感染が目立たなかった地域では「誰がウイルスを持ち込んだのか」と感染者をつるし上げるような事件が起こっています。
感染者への差別が広まれば、感染を隠そうとする人も増える。そうなれば無理をして重症化する人も出かねませんし、感染を隠すことでさらなる感染拡大を招くことも起こりうる。公衆衛生上の危機に発展しかねません。
こうした社会の空気を裏付けるように、私たちが行った新型コロナウイルスに関する意識調査の国際比較でも、日本は特徴的な結果が出ています。
今年3月から4月にかけて、日本、アメリカ、イギリス、中国、イタリアの5か国で、400人から500人規模の意識調査を行いました。
その結果、日本では「新型コロナウイルスに感染する人は、自業自得だと思う」という質問に対し、「そう思う」(「強くそう思う」「まあまあそう思う」「少しそう思う」の合計。以下同)と答えた人の割合が、11.5%と特に高かった。欧米3か国の割合は1%から2%ほど、中国も4.83%。「コロナは自業自得」と考える人が、日本は欧米に比べると約10ポイントも高かったのです。
日本で「そう思う」と答えた人の割合は、全体から見ればごくわずかなのですが、他国と比べると驚くほどはっきり高かったわけです。本当なのか、と考えた私たちは、7月から8月にかけて再度、日本、アメリカ、イギリスで今度は1000人から1200人規模の調査を行いました。春とは別の方々を対象にし、対象者数も増やし、日本では性別と年代を人口比に合わせました。
するとやはり「感染は自業自得だと思うのか」という質問に、「そう思う」と答えた人の割合に大きな違いが現れました。アメリカで4.90%、イギリスで1.36%だったのに対し、日本では17.24%にのぼったのです。この傾向が明確なものであることが示唆されています。
未知への恐怖から生まれる「被害者叩き」
そもそも、ウイルスへの感染は誰にでも起こりうるものです。また、症状が重くなれば身体への負担も大きい。感染者は紛れもなく「被害者」であるはずです。ところが、日本では他国よりも感染自体を「本人の責任」とみなし、「被害者叩き」とも呼べる意識が強く見られるのです。
では、どうして日本ではこうした「被害者叩き」意識が他国よりも強いのでしょうか。いろいろな解釈がありえますが、まず考えられるのが、「不確実性の回避」という観点です。
感染予防のために“3密”を防ぐなど対策が呼びかけられていますが、依然として新型コロナウイルスは分からないことも多い。まして、これだけ感染経路不明の人が多い状況ですから、偶然感染しても何の不思議もありません。こうした「不確実」で予測できない状態には、怖さを感じて、どうにか回避したい、という心理が働きます。そして、「どうにか原因や予測を立てられないか」と考えてしまう。つまり「感染する理由」を探そうとするのです。日本人のこうした「不確実性の回避」傾向は、世界的に見てかなり高いことが知られています。
実際にはっきりと原因が分からなくても、何か“それらしい理由”を見つけ出して、「こんな無責任で悪いことをしたから、コロナにかかってしまったんだ」と思い込みたい。そうすることで、先の読めない不確実性に対応し、安心したい。そういった心理から「コロナにかかりそうな悪いことをしているやつには、鉄槌を下さないといけないんだ」とエスカレートして、バッシングに走ってしまう人がいるのかもしれません。
「日本特有の理由」はあるのか?
そして日本では、「何か悪い目に遭ったのは、その人が悪い人物だからだ」と考える傾向も強く見られます。これを心理学では、「内在的公正推論」の強さといいます。
アメリカでは、宗教への信仰心が強い人ほど、この傾向が強く見られます。興味深いことに、日本では宗教などにかかわらず、他国に比べてこの「内在的公正推論」が強い傾向が見られるのです。