中の中の小仏
西洋の子どもの中にも、まだ幾種かの当てもの遊び(Guessing Games)が残っていることは、こういうことを書いた本によくいうが、あちらではもうその起りを説明することができなくなっている。日本ならそれが簡単にわかるのである。
子どもが手を繋つないで輪になって、ぐるぐる廻る遊び、全国どこにもある「中なかの中なかの小仏こぼとけ」というものなどは、鹿の角を幾分か複雑にして . . . 本文を読む
川崎大師法話板に「かって我の自性を観ぜずんば、なんぞよく法の実諦を知らん。」とありました。これは「秘密曼荼羅十住心論」巻一の「異生羝羊心」のはじめにある
「異生羝羊心者。此則ち凡夫善惡を知らざるの迷心。愚者因果を信ぜざるの妄執なり。我・我所の執(われとか、我がものという執着心)を常に胸臆に懐き、虚妄分別を鎭とこしなえの心意に蘊つつめり。陽焔を逐うて渇愛し、華燭を拂って身を燒く(蛾が火に飛び込むよう . . . 本文を読む
努力の堆積
人間の所爲を種々に分類すれば、隨分多數に分類し得る。そして其の所爲の價値に幾干と無い階級も有らうが、努力といふことは確に其の高貴なる部分に屬するものである。頃者このごろ世に行はれて居る言葉に奮鬪と云ふ言葉があつて、努力と稍や近似の意味を表はして居るが、これは假想の敵がある樣な場合に適當するもので、努力は我が敵の有無に拘らず、自己の最良を盡して而して或事に勉勵する意味で、奮鬪と云ふ言 . . . 本文を読む