川崎大師法話板に「かって我の自性を観ぜずんば、なんぞよく法の実諦を知らん。」とありました。これは「秘密曼荼羅十住心論」巻一の「異生羝羊心」のはじめにある
「異生羝羊心者。此則ち凡夫善惡を知らざるの迷心。愚者因果を信ぜざるの妄執なり。我・我所の執(われとか、我がものという執着心)を常に胸臆に懐き、虚妄分別を鎭とこしなえの心意に蘊つつめり。陽焔を逐うて渇愛し、華燭を拂って身を燒く(蛾が火に飛び込むように好色に迷い身を亡ぼす)。既に羝羊の草婬(水草と淫欲)を思うに同じく、還って孩童の水月を愛するに似たり。曾って我の自性を観ぜずんば、何んぞ能く法の實諦を知らん。教に違し、理に違すこと此れ從り生ず。・・」のところから抜き出しています。自らの実体(自分は大日如来であること)を知らないでどうして佛の教えの本質がわかろうか。
「異生羝羊心者。此則ち凡夫善惡を知らざるの迷心。愚者因果を信ぜざるの妄執なり。我・我所の執(われとか、我がものという執着心)を常に胸臆に懐き、虚妄分別を鎭とこしなえの心意に蘊つつめり。陽焔を逐うて渇愛し、華燭を拂って身を燒く(蛾が火に飛び込むように好色に迷い身を亡ぼす)。既に羝羊の草婬(水草と淫欲)を思うに同じく、還って孩童の水月を愛するに似たり。曾って我の自性を観ぜずんば、何んぞ能く法の實諦を知らん。教に違し、理に違すこと此れ從り生ず。・・」のところから抜き出しています。自らの実体(自分は大日如来であること)を知らないでどうして佛の教えの本質がわかろうか。
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