子供の霊
岡崎雪聲
私が十三歳の時だから、丁度ちょうど慶応三年の頃だ、当時私は京都寺町通きようとてらまちどおりの或る書房に居たのであるが、その頃に其頃そこの主人夫婦の間に、男の子が生れた。すると奇妙なことに、その子に肛門がないので、それが為ため、生れて三日目の朝、遂ついに死んでしまった。やがて親戚や近所の人達が、集あつまって来て、彼地あちらでいう夜伽よとぎ、東京とうきょうでいえば通夜 . . . 本文を読む
凡庸の資質と卓絶せる事功
何事に依らず、人の或る時間を埋めて行くには、心の中にせよ、或は掌ての上にせよ、何ものかを持つてゐなければ居られぬ。丸で空虚でゐることは、出來得るかも知れぬが、先づ普通の人々としては爲し得られない。さらば心の中、或は掌の上に、何物かを持つてゐる事が常住であるならば、其の持つてゐるものの善いものでありたいことは言ふまでもない。
所謂志を立つると云ふことは、或るものに向つ . . . 本文を読む