着手の處
着手の處の不明な教は、如何に崇高な教でも、莊嚴な教でも、或は正大圓滿な教でも、教へらるゝ者に取つては、差當り困卻を免れぬ譯である。本來を云へば、教には着手の處の不明なものなぞが有る可き譯は無い。しかし吾人は實際其の旨意が甚だ高遠であることを感ずるが、それと同時に、漠として着手の處を見出し難いものに遭遇することが少く無い。それも歳月が立つて見ると、實は教其の物が漠として着手の處を認めし . . . 本文を読む
こぞうさんの おきょう
新美南吉
やまでらの おしょうさんが びょうきに なりましたので、かわりに こぞうさんが だんかへ おきょうを よみに いきました。
おきょうを わすれないように、こぞうさんは みちみち よんで いきました。
キミョ
ムリョ
ジュノ
ライ
すると なたねばたけの なかに うさぎが いて、
「こぼうず あおぼうず。」
と よびました。
「 . . . 本文を読む