中の中の小仏
西洋の子どもの中にも、まだ幾種かの当てもの遊び(Guessing Games)が残っていることは、こういうことを書いた本によくいうが、あちらではもうその起りを説明することができなくなっている。日本ならそれが簡単にわかるのである。
子どもが手を繋つないで輪になって、ぐるぐる廻る遊び、全国どこにもある「中なかの中なかの小仏こぼとけ」というものなどは、鹿の角を幾分か複雑にして、たくさんの児こがいっしょに楽しめるようにしただけで、やはり問答が中心であった。六十年も前に私などが唱となえていた詞ことばは、
中の中の小坊こぼうさん なァぜに背が低い
親の逮夜たいやにとゝ食くうて それで背が低い
というのであったが、この文句は皆さんの覚えておられるのと、多分は大同小異であろう。あるいは魚ととの代りに「海老えび食うて」という者もあるようだが、いずれにしたところで父母の命日に、そんな物を食べる人は昔は一人もいなかった。それがおかしいので何遍なんべんも何遍も、同じ歌ばかりをくり返していたけれども、大阪でも東京でも、そのあとに添えて、
うしろにいる者だァれ
または「うしろの正面だァれ」といって、その児この名を当てさせるものが多かった。或いは目隠めかくしをさせ、もしくは顔を両手で掩おおわせて、正面に踞しゃがんだ児を誰さんと、いわせることにしていたかとも思われる。鹿児島県の田舎いなかなどでは、それでこの遊戯をマメエダレとも呼んでいた。マメエダレはすなわち真前ままえ誰だれである。
遊びは後に少しずつ改良せられている。中の小坊の手に御盆おぼんを持たせて、誰それさん御茶おちゃあがれと言わせたり、または一つ一つ手を繋いだところを探さぐって、ここは何門と尋ねる問答を重ね、答えによってそこを切って出るような遊びかたもあった。いずれも小児が自分たちで考えだしたもので、そんなことに世話をやく成人はいなかったろうと思う。それから蓮華れんげの花は開いたといい、または「かごめ・かごめ」という文句に取換とりかえたりしたのも、あんまり上手じょうずだから別に作者があったように考える人もあるか知らぬが、私たちは、なお、かれらの中の天才が興に乗じて言いはじめた言葉が、自然に採用せられて伝わったものと思っている。遊びはもともと輪を作って開いたり莟つぼんだり、立ったり屈かがんだりするのが眼目がんもくであった。そうして歌は、またその動作と、完全に間拍子まびょうしがあっている。作者がほかにあったろうと思われぬのである。
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地蔵あそび
「中なかの中なかの小坊こぼうさん」は、私などは弘法様こうぼうさまのことかと思っていた。これを小仏こぼとけと唱となえていた子どもの、近所にあることも知っていたのである。山梨県ではそれをまた、
中の中の地蔵じぞうさん
とうたい、その「中の地蔵」が後うしろで周囲の子の頭を叩たたきまわって、
外そとの外そとの小僧こぞうども なぜ背が小さいな云々うんぬん
といっていたそうである。茨城県で地蔵遊びといったのもこれで、一人をまん中にかがませて目かくしをさせ、周囲の輪の子どもが廻りながら、やはり「なぜに背が低い」を唱える。そうしてその運動を止めるや否や、中の地蔵が一人をとらえてだれさんと名をあてる。それが的中すると地蔵が代ることは盲鬼めくらおにの一種とよく似ている。福島県海岸地方の地蔵遊びのことは、前に『日本の伝説』の中にも述べておいた。これは輪の子どもが口を揃そろえて「中の中の」の代りに、
御乗おのりやァれ地蔵様
という言葉を唱える。乗るとはその児こへ地蔵様に乗り移って下さいということであった。そうするうちにまん中の児は、しだいしだいに地蔵様になってくる。すなわち自分ではなくなって、色々のことを言い出すのである。そうなると他の子どもは口々に、
物教ものおしえにござったか地蔵さま 遊びにござったか地蔵さま
と唱え、皆で面白く歌ったり踊ったりするのだが、元もとは紛失物などの見つからぬのを、こうして中の中の地蔵様に尋ねたこともあったという。
古い『人類学雑誌』に出ていたのはもとは仙台附近の農村で、田植休たうえやすみの日などに若い男女が集まって、大人おとなばかりでこの地蔵遊びをしていたそうである。これとても遊びで、信心からではなかったが、まん中にややお人よしというような若い者を坐すわらせ、ほかの者が輪になって何か一つの文句をくりかえしくりかえし唱えていると、しまいには今いう催眠状態に入って、自分でなくなって色々の受返事うけへんじをする。いずれ男女の問題などの、罪もない笑うようなことを尋ねて、それに思いがけない答えがあるので面白かったのであろうが、それが今一つ山奥の村へ入って行くと、まじめな信心者だけで集まって、この中座なかざのいうことを聴きいていた。それが昔の世にひろく行なわれた神の口寄くちよせというものの方式だったので、つまりは子どもがその真似をくりかえして、形だけでも、これを最近まで持ち伝えていてくれたのであった。
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