華厳経巻三十五寶王如来性起品第三十二の二「・・大海に摩尼寶あり、・・もし見るものあれば眼すなわち清浄となる。かの光明の照らすところに随いて宝を雨ふらし、みな悉く遍満して無量の衆生を饒益し安楽にするがごとし。・・如来に光あり、もし衆生ありてこの光に触れる者は、貧賤の苦を除き、尊貴にして富楽となり、乃至無上菩提の快楽あらん。・・
大海に摩尼寶あり、なずけて一切世間荘厳如意摩尼寶王といい、百万の功徳を具 . . . 本文を読む
・「文明的であるということは人の欲望を満たす手段が多くなることである。思慮はすすむが、練磨はすくなくなるのである。」
・「人為ざる有り。しかる後に以て為すべし。(孟子・離婁下篇)」。為さざるところあるが本当の修養なり。(こういう言葉から、遺伝子組み換え・核兵器等、科学の没価値性などといって何でもありの研究をするのは、人として間違っているとわかります。)
・「人として自任自重なきものは憐れむべし。貧 . . . 本文を読む