前叙の如く個人格を寂滅涅槃の理に帰せんとする小乗も、個体を真如平等の理に帰せんとする大乗も、法が真実であって人を仮なりと観るものである。かくのごとく一般仏教は主客を絶したる無相の法を偏重したる結果、個人格に何等価値なきものと解せらるるに至った。かかる没我的寂滅為本の教は、人生至高の要求に満足を與へ得ざるものである、真我の生命開発の要諦を未だ明かさざるものである。
されば真言密教にては、寧ろ「人」 . . . 本文を読む
宇都宮二荒山神社
現在の御祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと、第十代崇神天皇の第一皇子で毛野國(栃木県、群馬県)を拓かれた郷土の祖神)であるが、「神道集」巻第五ではご祭神は「宇都宮大明神事」として「そもそもこの明神は諏訪の大明神には御舎兄なり。 この明神には男体・女体御在す。 先づ俗体とは、本地は馬頭観音なり。 この仏は一面三目六臂なり。 頂上に白馬あり、 忿怒の形なり。[中略]次に女体は . . . 本文を読む