「(老子道徳経 第五十四章)
善く建てたるは抜けず、善く抱けるは脱せず、子孫以って祭祀して輟(や)まず。
これを身に修むれば、その徳は乃(すなわ)ち真なり。
これを家に修むれば、その徳は乃ち余りあり。
これを郷(きょう)に修むれば、その徳は乃ち長し。
これを邦(くに)に修むれば、その徳は乃ち豊(ゆた)かなり。
これを天下に修むれば、その徳は乃ち普(あまね)し。
故に身を以って身を観(み)、家を以っ . . . 本文を読む
真言宗の檀那の心得うべきこと
真言宗の檀那は皆真言の三密の即身成仏の法の引導を授かるの人体なれば兼ねて三密の法の甚深の理を聴聞して、面々の心中の第八識(阿頼耶識)の所に薫じおくときは、即ち順次往生(現世をおえて地獄等に堕ちず直ちに極楽へ行くこと)の結縁と成るなれば、
・第一に委しく真言の即身成仏の教えを講釈し、耳に触れしむ。
・第二に阿弥陀仏は百光遍照の尊、一切衆生有縁の面々の自心の佛、極楽は十 . . . 本文を読む
経があっても読まないのは経の垢である。家があっても破れて繕わないのは家の垢、身があっても怠るのは身の垢、行いの正しくないのは人の垢、物惜しみは施しの垢、悪はこの世と来世に亘る垢である。しかしこれ等の垢よりも激しい垢は無明の垢である。(法句経) . . . 本文を読む