慈雲尊者生誕300年第五回記念講演会(於学士会館)に行ってきました。これは慈雲尊者奉賛会(事務局法楽寺)が主催されているもので大変意義深いものでした。70名弱の慈雲尊者を崇敬する真俗の方々が遠近から参集され熱気あふれるものでした。法楽寺ご住職小松庸祐猊下のごあいさつの後筑波大教授秋山学氏の「晩年の慈雲尊者、律から密へ」と題した講演はなかなかむつかしく半分くらいしか理解できませんでしたが、22年の筑 . . . 本文を読む
阿含経などをみてもよくこういう言葉がある「正覚は一つの目覚めであってそれは自分自身の中にできる経験で他人によるものではないのである。自分の意識の上に内面的に展開して行く一つの経験でその経験から涅槃の世界に到達したという心持になる。永遠の調和と美の世界がそれから造られる。」・・黄山谷(宋の政治家)が晦堂和尚に禅をたずねたことがあった。その時に晦堂がいうには「孔子のことばに『われ汝に隠したことがあるか . . . 本文を読む
「凡夫が、木葉で自分の器に映る月を覆って月はないと言いはってみても、他人の器には月がはっきりと映っている。このように凡夫が自分の仏性を「迷い」で覆って「仏性などあるものか」と言ってみても他者の仏性まで隠すことはできない。」
「同じように、自分がお陰を受けれないからと言って、お陰などあるものか、といってみても、他者がお陰を受けている事実を否定はできない。」(T師) . . . 本文を読む