福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

御即位灌頂 冨田斆純(11代豊山派管長)等より・・・3

2018-09-03 | 永山國昭博士の福聚講通信
御即位灌頂 冨田斆純(11代豊山派管長)等より・・・3 (第三章略) 第四章、皇室と密教 ・・上代は皇室の仏教といったほうがよいくらいである。・・聖徳太子は十七条の憲法を定められて、「二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しき . . . 本文を読む
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ダライ・ラマ 法王によるノーベル平和賞受賞スピーチ

2018-09-03 | 法話
ダライ・ラマ 法王によるノーベル平和賞受賞スピーチがありました。 あれだけの大虐殺をされながら法王はすべてのものへの慈悲を説かれています。http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/message/index.html . . . 本文を読む
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死ははじめてその人の生命を完璧に語る

2018-09-03 | 法話
「われわれは平生、友だちの間でも夫婦の間でも、しばしば憎しみあったり争ったりして、必ずしも円満な生活を送ってはいない。愛はつねに嫉妬や憎しみを伴う。ところが、もし愛するものや友だちが死んだとしたならば、われわれはどういう感慨を抱くか。平生の憎しみや欠点などを忘れて、その面影の一つ一つが懐かしい思い出になる。争ったことさえ今は切実に回想されるであろう。つまり死に直面して、はじめてわれわれはその人のさ . . . 本文を読む
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仏さまにお任せしてしまう

2018-09-03 | 法話
「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」『正法眼蔵・生死』 (最初は座禅したりして努力するがその後は仏さまにすべてお預けしてお任せしてしまう。仏さまを一所懸命拝み仏道に励むがその後は仏さまにお任せしてしまう。こうして全てを仏様にゆだねきって赤ん坊が母親の腕に抱かれているような気持になった . . . 本文を読む
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