「ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる。」『正法眼蔵・生死』
(最初は座禅したりして努力するがその後は仏さまにすべてお預けしてお任せしてしまう。仏さまを一所懸命拝み仏道に励むがその後は仏さまにお任せしてしまう。こうして全てを仏様にゆだねきって赤ん坊が母親の腕に抱かれているような気持になった時、仏様の姿が現れ出で、自らもその仏の世界にはいることができて救われる、こういう意味と思われます。自分はまだまだ仏さまにすべてお任せすると思えるほど精進していませんが向こうにこういう世界があると思うと安心です。)
(最初は座禅したりして努力するがその後は仏さまにすべてお預けしてお任せしてしまう。仏さまを一所懸命拝み仏道に励むがその後は仏さまにお任せしてしまう。こうして全てを仏様にゆだねきって赤ん坊が母親の腕に抱かれているような気持になった時、仏様の姿が現れ出で、自らもその仏の世界にはいることができて救われる、こういう意味と思われます。自分はまだまだ仏さまにすべてお任せすると思えるほど精進していませんが向こうにこういう世界があると思うと安心です。)