戒深・・「本朝新修往生伝」「沙門戒深は尾張の国、賢林寺の住侶なり。五十余年寺門を出ず、日々夜々法華を讀誦す。多年の間、舎利を欣求す。尋常の読経の時、堂前庭上に舎利出現す。其の貌、珠の如く、其の音、雷に似たり。水に投げて沈まず、鎚打ちて壊れず。之を仏像に安じ、供養恭敬す。命終の時仏に向ひて端座、手に定印を結び、弥陀を称す。瑞雲天に聳え、異香室に薫ず。没後数日、身不爛。結跏坐は入定の如し。国郡哀傷,之 . . . 本文を読む
信の火
2020-07-31 | 法話
一、清浄の本心とはことばをかえていれば仏性である。仏性とはすなわち仏の種である。レンズをとって太陽に向かい、もぐさをあてて火を求めるときに、火はどこからくるのであろうか。太陽とレンズとはあいへだたること遠く、合することはできないけれど、太陽の火がレンズを縁とし、もぐさの上にあらわれたことは疑いをいれない。またもしも太陽があっても、もぐさに燃え移る性質がなければもぐさに火はおこらない。
いま仏を生 . . . 本文を読む