信の火
2020-07-31 | 法話
一、清浄の本心とはことばをかえていれば仏性である。仏性とはすなわち仏の種である。レンズをとって太陽に向かい、もぐさをあてて火を求めるときに、火はどこからくるのであろうか。太陽とレンズとはあいへだたること遠く、合することはできないけれど、太陽の火がレンズを縁とし、もぐさの上にあらわれたことは疑いをいれない。またもしも太陽があっても、もぐさに燃え移る性質がなければもぐさに火はおこらない。
いま仏を生む根本である仏性のもぐさに、仏の智慧のレンズを当てれば仏の火は仏性の開ける信の火として、人々というもぐさのうえに燃えあがる。
仏はその智慧のレンズをとって世界に当てられるから、世を挙げて信の火燃えあがるのである。
(仏教聖典・第三章 さとりの心第二節)