「掌の中の無限」(マチウ・リカール(分子生物学者にしてチベット仏教僧侶)とチン・スアン・トアン(ヴァージニア大教授(天体物理学)共著)から・・・仏教と同じく相対性理論もいう、「時間の経過、つまりすでに過ぎた時間も、まだ来ていない未来も、幻想にすぎない。私の未来は別の人間の過去でもあり、第三の人間の現在でもありうる」と。すべては我々の相対的運動にかかっている。時間は過ぎ去らない。ただそこにあるだけだ。
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信仰の無償性、亀井勝一郎「・信仰途上における最大の誘惑は自分一人だけ一足先に救われようとする焦燥感であろう。・・もし本当に無常に徹したならば無我になりうるはずだ。人は他のすべてに対しては無常の観念をもって臨みうるけど、己に向かってはそれを厳しく適用しない。他に対しては鋭く懐疑的でありながら己については甘い。自分の頭脳をみれば百鬼夜行の如くである。その様々の妄想を神が照覧するならば捧腹絶倒したまうで . . . 本文を読む
上宮太子御記(親鸞聖人撰述、上人が書写されたもの)「釈迦の正覚なしたまひし日より涅槃にいたりたまふよにいたるまで、ときたまへるところのもろもろのみのり、ひとつもまことにあらざることなし。始めには華厳を説いて解らしめたまふ。日のいでまず高峰を照らすが如し(注1)。つぎに阿含をのべて声聞にしらしむ。日のたかくして漸深谷をてらすがごとし。また所所にして方等の種々の経をあらわすなり。(注2)仏は一音にとき . . . 本文を読む