福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

私の未来は別の人間の過去でもあり、第三の人間の現在でもある

2021-10-28 | 法話

「・・仏教の相互依存という概念は事物は絶対的には定義されず、ただ他の事物に対して相対的に定義されることを教える。

実質的には同じ考えが物理学における運動の相対性という原理を規定している。これはガリレオがまず最初に言及し、アインシュタインがそれを取り上げ、最高のレベルに発展させた。ガリレオは「運動は無に等しい」といった。彼が言おうとしたのは、ある物体の運動は絶対的には定義できず、他の物体との関係で定義できるだけだということである。・・・
時間と空間もまた、ニュートンが与えていた絶対的性格を失った。アインシュタインは、時空は観測者の運動と彼が位置する重力場との関連でのみ定義できるといっている。光さえ外に出られない強力な重力を持つ特異な空間、「ブラックホール」の周辺では、1秒は永遠の様相を呈するかもしれない。

仏教と同じく相対性理論もいう、「時間の経過、つまりすでに過ぎた時間も、まだ来ていない未来も、幻想にすぎない。私の未来は別の人間の過去でもあり、第三の人間の現在でもありうる」と。すべては我々の相対的運動にかかっている。時間は過ぎ去らない。ただそこにあるだけだ。・・」

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