靖国神社令和二年十月の社頭掲示がありました。まだ二十一歳の若者が「自分は何時たりとも天皇陛下の為なれば命を的に働くつもりで居ります」といって散っていったのです。改めて天皇陛下はぜひとも靖国神社へ御参拝あるべしと思わざるを得ません。
「遺書 陸軍上等兵 佐上善郎の命
昭和二十年八月一日・中華民国湖南省衡陽(今の中華人民共和国湖南省中南部に位置する衡陽市)にて戦病死
奈良県宇陀郡室生村出身 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 文永十一年1274十月五日条「五日 蒙古都元帥忽敦(注1) 副元帥洪茶丘(注2) 左副元帥劉復亨(注3) 高麗都督使金方慶(注4)等 兵三万 艨艟九百艘率ヰテ来リ 対馬ニ寇ス 守護代宗助国(注5)等 防戦シテ之ニ死ス 助国ノ家士 急ヲ博多ニ告ゲ 大宰府之ヲ六波羅ニ報ズ」・(注1)忽敦(こつとん)は、元の武将。文永の役で北九州に上陸したものの日本軍によって進撃を阻止され、夜に入っ . . . 本文を読む
八幡愚童訓「文永十一年1274十月五日の申の時に対馬の西面差浦に異国の船四百五十艘三万人乗連て寄来たる。同日の酉の刻に国府の地頭所に着く、則ち地頭、宗右馬介助圀、八十余騎にて同丑の刻ばかりに彼の浦に行き着いて、翌日卯の刻に通人に真継男を使者にして蒙古人に事の子細を相尋るところに、散々に船より射る上、七,八艘より降り立つ勢一千人ばかりなり。その時宗右馬介,陣を取って戦う。その矢に中る異国人数知れず。 . . . 本文を読む
コロナが急に終息し始めた原因が分からないと不思議がられています。
不思議なことはありません日本中のあらゆる神社仏閣が一斉にコロナ終息祈願をしたからです(以下に数例を出しました。注1)。古来疫病の都度神社仏閣あげて祈願をしてきました。そ祈りは国土に沁みついています。今回もその上に期せずして国をあげての祈願を行ったためにこのような奇跡が起こったのではないかとおもいます。しかしこういう神仏のお陰に思い . . . 本文を読む
尼僧の告白(岩波文庫)にイシダーシ―という尼僧が告白する物語があります。
此の尼僧は前世には男であったが他人の妻を犯したために七生にわたって悲惨な運命を送らざるを得なかったがお釈迦様の下で修業して自己の前世を知り七生目に解脱できたという物語です。以下要約します。
「わたし(イシダーシ―という尼僧)の父は、長者であり、彼の独り娘として可愛がられました。
最初に多大な財の有る第一 . . . 本文を読む