経典では、肉食により衆生は苦悩することになると喝破しています。 . . . 本文を読む
「大山光淳・中院流日用作法集」より「毘盧遮那の世界について事相の中に最も大切な字輪観というものがあるが、・・・あ・び・ら・うん・けん・うん(梵字)の六大が毘盧遮那の世界を表す。あ・び・ら・うん・けん・うん(梵字)は一般に地大・水大・火大・風大・空大・識大と説明され、サンスクリットの原語では本不生・言説・火・因業・空・識となり、大日経にては本不生・出過語言道・諸過得解脱・遠離於因縁・ . . . 本文を読む
最近思うようにならないことが続きましたが、道路掃除や寄付などの細々とした善行は続けています。最近ではその功徳を求めるのではなく、道にゴミが溜まっていたり、困っている人を見かけたりすれば自然と人助けをせざるを得ない気持ちになっています。梁の武帝の様に功徳を求める気持ちはとっくに諦め捨てています。そしていつも道路掃除の時は「恨みに報いるに徳を以てす」と呟いています。此の恨みとは思うよう . . . 本文を読む
「金剛佛子叡尊感身学正記」に(正嘉二年1258戊牛(叡尊)五十八歳)「十月六日、太子御廟。一夜不断に如意輪大呪(注1)の祈請をなし満ず。意趣前に同じ(この六日前に誉田八幡宮に旱を祈っている)。」(注1)如意輪大呪。聖徳太子の本地は如意輪観世音とする。「のうぼう あらたんのう たらやあや のうまく ありや ばろきてい じんばらや ぼうじさとばや まかさとばやまかきゃろにきゃや たにゃたあ おん しゃ . . . 本文を読む
山本玄峰老師は稀代の名僧ですがその生い立ちは悲惨なものでした。玄峰老師は生まれてすぐ、湯の峰温泉の道端に捨てられ、地元の岡本家に拾われ筏流しをしていました。そのころ次第に目が見えなくなり遂に失明、四国88所を裸足でお参りして33番雪渓寺まできて行き倒れました。そのとき、雪蹊寺の山本太玄老師に助けられましたが玄峰老師は、太玄老師に次のように尋ねました。「修行をしたら、亡くなったお母さんに会えますか? . . . 本文を読む