日本後紀 ・弘仁三年(812)七月丁巳朔(1日)条
「秋七月丁巳朔 (嵯峨天皇)勅す。 頃者、疫・旱並びて行ず(疫病と旱魃が同時に発生) 生民未だ安からず。此に静言す。 情は切なること納隍なり(堀に入れられているように切ない)。 但し、神明の道は 転禍為福なり 庶(こいねがわ)くは祐助を馮(たのま)ん 此の災禍を除き 宜しく天下の名神(注)に走幣すべし」
(注)名神とは特に古来より霊験が著しいとされる神に対する称号。
「名神祭式」には、「名神大社」として203社285座、「神名帳」には226社313座が記されているといいます。
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