福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

霊験による開眼・新旧6例

2023-07-27 | 頂いた現実の霊験

霊験による開眼

有名な「壺阪霊験記」は盲目の沢市が谷に投身するが観音様の霊験で開眼するはなしですが、古来盲人が霊験によって開眼した例は枚挙に暇がありません。とりあえず目についた新旧6例をあげます。

 

1, 「二つの目盲ひたる女人の、薬師仏の木像に帰敬して、以て現に眼を明くこと得し縁」(『日本霊異記』下巻第十一)」

 

「諾楽(なら)の京の越田の池の南の蓼原の里の中の蓼原堂(平城京の左京九条四坊にあった)に、薬師如来の木像在り。帝姫阿部の天皇(称徳天皇)のみ代に当りて、其の村に二つの目ながら盲ひたる女有りき。此れが生める一の女子、年は七歳なりき。寡にして夫無し。極めて窮れること比無し。食を索むること得ずして、飢ゑて死なむとす。自ら謂へらく、『宿業の招く所ならむ。唯に現報のみには非じ。徒に空しく飢ゑ死なむよりは、善を行ひ念ぜむには如かじ』とおもへり。子をして手を控かしめて、其の堂に迄り、薬師仏の像に向ひて、眼を願ひて

 

曰さく『我が命一つを惜しむに非ず。我が子の命を惜しむなり。一旦に二人の命を已(お)へむ。願はくは我に眼を賜へ(自分が死ねば二人とも死ぬことになる。眼を開けてください)』とまうす。壇越(居合わせた信者)見矜みて、戸を開きて裏に入れ、像の面に向ひて、以て称礼せしむ。逕ること二日にして、副へる子の見れば、其の像の臆(むね)より、桃の脂の如き物、忽然に出で垂る。子、母に告げ知らす。母、聞きて食はむと欲ふが故に、子に

 

告げて曰はく、『搏(と)りて吾が口に含めよ』といふ。之を食へば甚だ甜し。便ち二つの目開きぬ。定めて知る、心を至して発願すれば、願として得ずといふこと無きことを。是れ奇異しき事なり。」

 

 

 

2,「今昔物語集・薬師仏従身出薬与盲女語 第十九」にも

 

「今昔、奈良の京に越田の池と云ふ池有り。其の池の南に蓼原里と云ふ里有り。其の里の中に堂有り。蓼原堂と云ふ。其の堂に薬師仏の木像在ます。阿倍の天皇の御代に、其の村に一人の女有り。二の目共に盲たり。而るに、此の盲女、一人の女子を生ぜり。其の女子、漸く勢長して、年七歳に成ぬ。母の盲女、寡にして夫無し。極て貧事限無し。或る時には、食物無くて食を求むるに得難し。我れ、必ず餓て死なむとす。亦、目盲たるに依て、東西を知らずして、行て求る事あたはず。然れば、歎き悲むで、自ら云く、『身の貧きは此れ宿業の招く所也。徒に餓死なむ事、疑ひ有らじ。只、命の有る時、仏の御前に詣て、礼拝し奉らむには如かじ』と思て、七歳の女子に手を引かしめて、彼の蓼原の堂に詣づ。寺の僧、此れを見て哀むで、戸を開て堂の内に入れて、薬師の像に向はしめて、礼拝せしむ。盲女、仏を□□奉礼拝して白して言さく、『我れ伝へ聞く、薬師は一度び御名を聞く人、諸の病を除く。我れ、其の誓に漏るべきに非ず。譬ひ前世の悪業拙しと云ふとも、仏、慈悲を垂れ給へ。願くは、我れに眼を得しめ給へ』と泣々く申して、仏の御前を去らずして有り。二日を経るに、副たる女子、其の仏を見奉るに、御胸より桃の脂の如くなる物、忽に垂り出たり。女子、此の事を見て、母に告ぐ。母、此れを聞て云く、『我れ、其れを食はむと思ふ。速に汝ぢ彼の仏の御胸より垂り出たる物を取て、持て来て、我れに含めよ』と。子、母が云ふに随て、寄て此れを取て、持て来て、母に含むるに、母、此れを食ふに甘し。

 

 

 

其の後、忽に二の目開ぬ。物を見る事明らか也。喜び悲むで、泣々く身を地に投て、薬師の像を礼拝し奉る。此れを見聞く人、此の女の深き信の至れる事を讃め、仏の霊験掲焉に在ます事を貴びけり。此れを思ふに、其の薬師の像、現に御身より薬を出して、病人に授て救ひ給ふ事、此の如し。然れば、『身に病を受くらむ人、専に信を発して、薬師の誓を憑奉べし』となむ語り伝へたるとや。」

 

 

 

 

3,今昔物語集巻十三 筑前国女、法花を誦して盲を開きし語 第廿六

今昔、筑前の国に府官有り。其の妻の女、両の目盲て明かに見る事を得ず。然れば、女、常に涙を流して歎き悲む事限無し。誠の心を発して思はく、「我れ、宿世の報に依て、二の目盲たり。今生は此れ人に非ぬ身也。如かじ、只後世の事を営むで、偏に法花経を読誦せむ」と思て、法花経を年来持(たも)てる一人の□を語ひて、法花経を受け習ふ。其の後、日夜に読誦する事、四五年を経たり。

 

而る間、此の盲女の夢に、一人の貴き僧来て告て云く、「汝、宿報に依て、二の目既に盲ひたりと云へども、今心をおこして法花経を読誦するが故に、両眼忽に開く事を得べし」と云て、手を以て両目を撫づと見て、夢覚めぬ。

 

其の後、両目開きて、物を見る事明かにして、もとの如く也。女人、涙を流して泣き悲むで、法花経の霊験新なる事を知りて、禮拝恭敬す。亦、夫・子息・眷属、此れを喜ばずと云ふ事無し。亦、国の内の近く遠き人、皆此の事を聞て、貴ぶ事限無し。

 

女人、弥よ信を発して、昼夜寤寐に法花経を読誦する事ことわり也。亦、書写し奉りても、供養恭敬し奉りけりとなむ、語り伝へたるとや。

 

4,今昔物語・巻十六「 盲人依観音助開眼語 第廿三」

「今昔、奈良の京の薬師寺の東の辺の里に、一の人有けり。二の眼盲たり。年来、此れを歎き悲むと云へども、事無かりけり。

 

而るに、此の盲人、千手観音の誓を聞くに、『眼暗からむ人の為には、日摩尼(太陽をかたどったこの玉は千手観音の四十手中、右の第八手が持っており、衆生に光明を与えることを意味)の御手を宛つべし』と。此れを深く信じて、日摩尼の御手を念じて、薬師寺の東門に居て、布の巾(たのごひ)を前に敷たり。心を至して、日摩尼の御名を呼ぶ(千手観音様の陀羅尼(注1))を誦する)。行来の人、此れを見て哀むで、銭米などを巾の上に置く。

 

亦、日中の時に鐘を撞く音を聞て、寺に入て、諸の僧に食を乞て命を継て年来を経る間、阿倍の天皇(孝謙天皇)の御代に、此の盲人の所に、二の人来れり。此れ、本より知らざる人也。亦、盲せるに依て、其の人の形を見ず。此の二人の人、盲人に告て云く、『我等、汝を哀ぶが故に、汝が眼を滌(あら)はむ』と云て、左右の眼を各治す。治し畢て、盲人に語て云く、『我等、今二日を経て、必ず此の所に来べし。忘れずして待つべし』と云て去ぬ。

 

其の後、其の盲、目忽に開て、物を見る事、本の如し。而るに、彼の二人の人、『来らむ』と契し日待つに見えず。然れば、遂に其の人と見る事無し。『此れ、観音の変じて来て、助け給ける』と知て、涙を流して、悲び喜びけり。

 

此れを見聞く人、観音の利益の不思議なる事を、貴び敬ひ奉けりとなむ、語り伝へたるとや。」

 

「日本霊異記」にはこの元となった「二つの目盲しひたる男の、敬みて千手観音の日摩尼手を称へて以て現に眼を開くことを得し縁」という殆ど同じ話があります、その最後には「賛に曰く『善きかな、彼の二つの目ながら盲ひたる者、現生に眼を開き遠く太方に通ず。杖を捨て、手を空しくして能く見、能く行く』といふ。誠に知る、観音の徳力と盲人の深信なることを」とあります。

 

 

 

(注1)千手経です。

 

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/91635923f82fb9471e20dde13f0a8a8d

 

 

 

 

 

 

 

5,宮城県登米市若草神社にある「首藤先生開明由来」

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjYxprVsI75AhXKf94KHf0-AQQQFnoECDgQAQ&url=https%3A%2F%2Fwakakusa-inari.amebaownd.com%2Fpages%2F3031338%2Fconcept&usg=AOvVaw3-VPvk2lrKQ8Ek7RTPyRlK

 

 

「首藤先生開明由来

大正十三年十月二十日、米川尋常高等小学校五年生担任の首藤清吾先生(当時二十歳)は突然鞭を持ったまま教壇に倒れられた。翌朝になって失明、直ちに仙台大学病院に入院三か月、治療の甲斐なく失明のまま退院された。私達教え子は先生が入院中に、若草神社参拝途中開明した、という夢を見た話を聞き、二人交替で手を引き靈明水で手を清め、参拝することを相談し、さっそく実行に移したのである。

翌朝大正十四年三月五日、私と義夫君が先生の手を取り参道を登り一息ついたとたん、先生はあっという間に足を滑らして二十餘米の崖下に転落され、その時、奇跡的にも開眼されたのである。教え子はじめ皆の真心が神に通じたものと私は信ずるものである。

若草神社は霊験あらたかな豊作と教育の神様である。この開明の事実は教育美談として映画「黎明の里」(内田叶夢監督の映画「黎明の郷」)に作られ、種々の雑誌に掲載され、また近年にはテレビに放映された。あれから五十年今茲に当時を回顧し感無量のうちに恩師開明の由来を記する。

昭和五十二年十一月一日

小野寺市郎右衛門 六十五歳」

 

6,四国16番観音寺にも開眼の霊験談がありました。

https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/92769e96e58152f25473ee9ce5835ce5

 

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