今日は原坦山老師遷化の日です。以下「明治の仏教者」等に依ります。原坦山は若くして儒・医を学び後に浅草総泉寺英仙の弟子となり、僧侶として出発。修行を重ね、風外本高の下で悟りを開き、大中京璨の法を嗣ぐ。
1872年に教部省から教導職に任命されるが出版条例違反により僧籍を失う。その後、浅草で易者として生計を立てる。 その後、東大に始めて印度哲学科が設けられることになり総長加藤弘之が物色して浅草で易者していた原を迎える。其の後10年間東大で大乗起信論等を講じ明治18年には僧侶で初めて学士院会員となる。最乗寺住職・曹洞宗大学林(現駒澤大学)総監も歴任。あるとき釈雲照律師と同席することがあり、その席上原坦山はいつものようにお酒を飲んでいたので釈雲照律師が「すこし控えられては」と忠告しとところ、原坦山「お酒も飲めぬような者は人間ではない」と返した。釈雲照律師が「人間でないなら何ですか?」と聞いたところ原坦山「仏さまです」といいこの論争はそれきりになったといいます。
明治25年7月25日坦山は以下のような死亡通知を書いて死についたということです。「拙者儀 即刻臨終仕候 此段御通知に及び候也 七月二十五日 坦山」
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