ロシアのウクライナ侵略大虐殺など不条理の起こるたびに司馬遷ならずとも「天道是か非か」といいたくなります。しかし遠藤周作は「沈黙」で、「殉教者が苦しむのを神はなぜ救わないのか」と問う司祭ロドリゴに対し神に「私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ」と言わしめています。アウシュビッツを生き延びたヴィクトール・フランクルのことばにも「人は神に“問う存在”なのではなく、神の期待に“応える存在”である」とあります。こういう言葉もまさに自分は神と「同行二人」であるという深い自覚からきているのだと思い至りました。いろいろな不条理な事件を通じて我々は「神仏はあるのか」「天道是か非か」と問いかけますが、本物の信仰を持っている人は「(神仏と)同行二人」の自覚から「神仏もともに苦しんでおられる」と感じ、神仏の手足となる働きをするることができるのでしょう。
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