12月22日は大燈国師(宗峰妙超)のお亡くなりになった日です。大燈国師は、弘安5年(1282年)生まれで -、延元2年/建武4年12月22日入滅されています。 師の南浦紹明(大応国師)から印可を得た大燈国師は京都に帰り、乞食の群れに身を投じ、有名な「五条橋下20年の聖胎長養」にはいりました。乞食の吐いたものを平気で食べていたと云います。後、一休や白隠に影響を與え、花園法皇や後醍醐天皇の帰依を受け大徳寺の開山になっています。大燈は終始一貫して頓悟を主張し「我が宗はただ見性を論じて終に次第の修行を仮らず」と言っています。「大燈国師遺誡」を残していますが、いまも臨済宗のお寺ではどこでも坐禅の前に読まれています。私も全生庵でよく読んだものです。懐かしいです。訳と本文を載せます。
「大燈国師遺誡」
「諸君は修行のためにこの道場に来ている。
生活のために修業すること無かれ。肩があれば着物はついてくるし、口があれば食べ物はついてくる。これらを得るための心配などするな。 二十四時間、覚りを求めよ。光陰矢の如しだ、雑念をもつな。本質を見抜け。私(大燈)の死後、 いかにこの道場が外見上立派になり、門徒が集り、作法が行なわれ、経典を暗記し、午前中に食事してあとは一日中修行できる、例えばそんな生活を仮にできたとしても、仏祖の悟りは言葉や文字では伝わらないという「妙道」を肝に銘じていなければ「野狐禅」に陥り、本来の悟りは地に堕ちてしまう。こういう輩は、 私(大燈)が死んでも、弟子であるなどと触れ回ることを許さぬ。
むしろ田舎に一人で細々と生活し、茅葺きの草庵で、脚の折れた鐺(なべ)で野菜を煮なければならないような生活をしていても、一心に「己事究明」している者は私(大燈)と日日相まみえて報恩に励んでいる人になるのである。 こういう人を誰か敢えて軽んじることが出来ようか。
つとめよ。 つとめよ。
(汝等諸人此の山中に来つて道の為に頭を聚む。
衣食の為にする事なかれ、
肩有つて着ずと云ふ事なく、口有つて食はずと云ふこと無し。
只須らく十二時中無理會の處に向つて、
究め来り究め去るべし、
光陰箭の如し、謹んで雑用心すること莫れ、
看取せよ看取せよ。
老僧行脚の後或は寺門繁興佛閣経巻、金銀を鏤め、
多衆閙熱或は誦経諷呪長座不臥一食卯斎六時行道、
直饒恁麼にし去ると雖も、
佛祖不傳の妙道を以て、胸間に掛在せずんば忽ち因果を撥無し、
眞風地に墜つ、皆是れ邪魔の種族なり。
老僧世を去る事久しくとも兒孫と称する事を許さじ。
或は一人有り野外に綿絶し、
一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過すとも
専一に己事を究明する底は、老僧と日々相見報恩底の人なり、
誰か敢て軽忽せんや。
勉旃。勉旃。)」
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