以下宸翰英華等に依ります。
「天長印信
両部大法師阿闍梨位毘盧遮那根本最極秘傳法密印
金剛界傳法灌頂密印事
摂一切如来大阿闍梨位印
定恵の手を以て肱を屈し上に向け合掌、肩と斉し。
各戒方忍願を屈し入掌、或は坐し或は立
皆成就
真言(略)
大悲胎蔵傳法灌頂密印
阿闍梨位大印
右手を以て左掌に置き二大指堅頭相柱
真言(略)
故和尚云義明供奉は両部大阿闍梨傳法を授くと雖も此の印未だ授ず
唯一人有り好好和尚吾恩に報ずべき也。
寫瓶は實慧有り又入壇授法の弟子多しと雖も唯一人に之を授く耳
天長三年(二年)乙巳三月五日東寺に於いて眞雅大法師之を授く
伝授阿闍梨遍照金剛(梵字)
此の印信大師御筆也最後に之を賜ふ代々坐主重宝也」
(天長印信は正しくは両部大法阿闍梨位毘盧遮那根本最極傳法密印といひ、弘法大師が附法の印として弟子眞雅に授け賜ひ、眞雅は更に之を醍醐寺開山聖法にあたへたものと傳ふ。
天長印信とはその日附による称呼である。この宸筆天長印信は延元四年六月十五日醍醐寺座主大僧正弘信(文観)の為に親しく御書遊ばされて賜ったものである。弘信はその奥書にその来歴を記しているが之に依ればこの印信は醍醐寺座主が代々相承した重宝でこれを伝へずして三宝院流の弟子と称する者は冥慮恐るべしと云っている。蓋し弘信は後醍醐天皇の殊遇を忝うしたるにより特に請ふてこの宸筆を賜り以て彼が大師の嫡流であることを証明しようとしたものであらう。御料紙は蠟牋を用ひられている。延元四年六月十五日は當に後醍醐天皇崩御前二月に当たり今に伝はる宸翰の中最も絶筆に近いもの。)