此中初に人事を全くして不殺生戒を護持する。生死相続縁起の趣に通達する時節あるべきじゃ。
天地の天地たる所。大人の大人たる所は、生とし生る者に悉く其処を得せしむるにある、萬物を各々生育して止まぬ處にある。佛出世にもあれ佛不出世にもあれ、此道つねに存在して世間に住するじゃ。
支那國にも大人君子は自ら此心あるじゃ。
左傳に叔了、軍いくさだちして費を囲む。初敗軍す。平子怒て云、費人を見ば執へよと。冶りょう夫(やりょうふ)云、然らず。若費人を見ば、寒たる者には衣を與へ、餓たる者には食を與よと。平子これに従ふ。一年を経て其功有たと云ことじゃ。
史記に、殷の湯王野に出て捕鳥者を見るに、四面に網を張て祝て云く。「自天下四方 皆入我網」と(てんか四方よりするものみな我が網に入れ)。王云「嘻,盡之矣」(ああつくせり)。其三面を去て改て祝す。「欲左左。欲右右。不用命乃入吾網。」と。諸侯がこれを聞て。「湯至矣,及禽獸。」(湯の徳いたれり。禽獣に及ぶ)と云て。悉従たとある。(史記、卷三 殷本纪にあり。)
禮訓に、天子故無れば牛を殺さず、諸侯故無れば羊を殺ず、大夫故無れば犬豕(けんし・・犬や豚)を殺さず、とある。明の焦弱侯が此を引て、天子尊也、諸侯大夫貴也。然も皆故なければ殺生することを得ず。夫れ故無ければ殺生することを得ざれば、故有っても殺者幾ばくも無し、と云た類。
宋の周茂叔が窓前の草を鋤き去らぬ類。此等みな天地生育の道にも順ずべく。佛法にも順ずるじゃ。
天地の天地たる所。大人の大人たる所は、生とし生る者に悉く其処を得せしむるにある、萬物を各々生育して止まぬ處にある。佛出世にもあれ佛不出世にもあれ、此道つねに存在して世間に住するじゃ。
支那國にも大人君子は自ら此心あるじゃ。
左傳に叔了、軍いくさだちして費を囲む。初敗軍す。平子怒て云、費人を見ば執へよと。冶りょう夫(やりょうふ)云、然らず。若費人を見ば、寒たる者には衣を與へ、餓たる者には食を與よと。平子これに従ふ。一年を経て其功有たと云ことじゃ。
史記に、殷の湯王野に出て捕鳥者を見るに、四面に網を張て祝て云く。「自天下四方 皆入我網」と(てんか四方よりするものみな我が網に入れ)。王云「嘻,盡之矣」(ああつくせり)。其三面を去て改て祝す。「欲左左。欲右右。不用命乃入吾網。」と。諸侯がこれを聞て。「湯至矣,及禽獸。」(湯の徳いたれり。禽獣に及ぶ)と云て。悉従たとある。(史記、卷三 殷本纪にあり。)
禮訓に、天子故無れば牛を殺さず、諸侯故無れば羊を殺ず、大夫故無れば犬豕(けんし・・犬や豚)を殺さず、とある。明の焦弱侯が此を引て、天子尊也、諸侯大夫貴也。然も皆故なければ殺生することを得ず。夫れ故無ければ殺生することを得ざれば、故有っても殺者幾ばくも無し、と云た類。
宋の周茂叔が窓前の草を鋤き去らぬ類。此等みな天地生育の道にも順ずべく。佛法にも順ずるじゃ。