『国分寺建立の詔』
続日本紀・天平十三年(741)三月乙巳(廿四日)
「(聖武天皇)詔して日く、朕薄徳を以て忝くも重任を承け、いまだ政化を弘めず、寤寐多く慚ず。古の明主は皆先業を能くして、国泰らかに人楽しみ、災除き福至る。何の政化を修めてか、能く此の道を臻(いた)さんや。頃者、年穀不豊、疫癘頻に至る。慙懼交も集る、唯労己の罪。是以、広く蒼生の為に、遍く景福を求む。故に前年、使を馳せ天下神宮を増飾す。 去歳、普く天下に令し、釈迦牟尼仏尊像を高さ一丈六尺各一鋪を作らしめ、并に大般若経各一部を寫さしむ(以前(天平9年11月)、各地の神社を修造させ、諸国に丈六(約4.8m)の釈迦牟尼仏一体を造らせ、大般若経を写させた)。今春より已来、秋稼に至るまで、風雨順序、五穀豊穣。此れ乃ち、誠を徴し願を啓き、霊貺(れいきょう・大霊の祝い)答る如し。載惶載懼、以って自寧する無し。経を案ずるに云く。「若し国土に購宣読誦、恭敬供養して此の経を流通する王有らば、我等四王、恒に来りて擁護し、一切の災障、皆消殄せしめん。憂愁疾疫も亦除き差しめ、所願心に遂げて、恒に歓喜を生ぜん。」(金光明経四天王護国品に「若し国土ありて城、邑、聚落、山、林、荒野、所至のところにしたがい流布する時、若し彼の国王、この経典において至心に聴受し、称嘆し、供養し、ならびに復た、この経を受持する四部の衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)に供養して深心に擁護し、衰悩を離れしめんに、この因縁をもって、我彼の王及び諸人衆を護り、皆安穏にして憂苦を遠離し、・・・他方の怨族は皆退散せしめん。若し人王あってこの経を聴かんときに、隣国の怨敵、かくの如きの念を興さん、まさに四兵を具してかの国土を壊るべし」)と。宜しく天下諸国をして、各敬みて七重塔一区を造り、并に金光明最勝王経・妙法蓮華経各一部を写さしむべし。朕又別に擬して金字の金光明最勝王経を写し、塔ごとに各一部を置かしめん。冀う所は、聖法の盛んなること天地とともに永く流え、擁護の恩幽明に被しめて恒に満たんことを。其造塔之の寺は、兼ねて国華の為に必ず好処を択べ。実に久長なさしむ可し。人近ければ則ち薫臭所を欲せず。及び人遠ければ則ち衆は労して帰集を欲せず。国司等、各のよろしく 厳飾を存し、 兼て潔清を尽すべし。近くは諸天を感じ、臨護を庶幾ふべし。遐邇(かじ・ 遠近)に布告す、 朕が意を知らしむべし。又国ごとに、僧寺には封五十戸・水田十町を施し、尼寺には水田十町。僧寺には必ず廿僧有らしめ、其の寺の名を金光明四天王護国之寺となし、尼寺には一十尼あって、其の寺の名を法華滅罪之寺となし、両寺相共に宜しく教戒を受くべし。若闕有ば、即須其れを補満すべし。其の僧尼は、毎月八日には必ずまさに最勝王経を転読すべし。月半ばに至るごとに戒羯磨を誦し、毎月六斎日には公私漁猟殺生することを 得ざれ。国司等宜しく恒に検校を加うべし」
続日本紀・天平十三年(741)三月乙巳(廿四日)
「(聖武天皇)詔して日く、朕薄徳を以て忝くも重任を承け、いまだ政化を弘めず、寤寐多く慚ず。古の明主は皆先業を能くして、国泰らかに人楽しみ、災除き福至る。何の政化を修めてか、能く此の道を臻(いた)さんや。頃者、年穀不豊、疫癘頻に至る。慙懼交も集る、唯労己の罪。是以、広く蒼生の為に、遍く景福を求む。故に前年、使を馳せ天下神宮を増飾す。 去歳、普く天下に令し、釈迦牟尼仏尊像を高さ一丈六尺各一鋪を作らしめ、并に大般若経各一部を寫さしむ(以前(天平9年11月)、各地の神社を修造させ、諸国に丈六(約4.8m)の釈迦牟尼仏一体を造らせ、大般若経を写させた)。今春より已来、秋稼に至るまで、風雨順序、五穀豊穣。此れ乃ち、誠を徴し願を啓き、霊貺(れいきょう・大霊の祝い)答る如し。載惶載懼、以って自寧する無し。経を案ずるに云く。「若し国土に購宣読誦、恭敬供養して此の経を流通する王有らば、我等四王、恒に来りて擁護し、一切の災障、皆消殄せしめん。憂愁疾疫も亦除き差しめ、所願心に遂げて、恒に歓喜を生ぜん。」(金光明経四天王護国品に「若し国土ありて城、邑、聚落、山、林、荒野、所至のところにしたがい流布する時、若し彼の国王、この経典において至心に聴受し、称嘆し、供養し、ならびに復た、この経を受持する四部の衆(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)に供養して深心に擁護し、衰悩を離れしめんに、この因縁をもって、我彼の王及び諸人衆を護り、皆安穏にして憂苦を遠離し、・・・他方の怨族は皆退散せしめん。若し人王あってこの経を聴かんときに、隣国の怨敵、かくの如きの念を興さん、まさに四兵を具してかの国土を壊るべし」)と。宜しく天下諸国をして、各敬みて七重塔一区を造り、并に金光明最勝王経・妙法蓮華経各一部を写さしむべし。朕又別に擬して金字の金光明最勝王経を写し、塔ごとに各一部を置かしめん。冀う所は、聖法の盛んなること天地とともに永く流え、擁護の恩幽明に被しめて恒に満たんことを。其造塔之の寺は、兼ねて国華の為に必ず好処を択べ。実に久長なさしむ可し。人近ければ則ち薫臭所を欲せず。及び人遠ければ則ち衆は労して帰集を欲せず。国司等、各のよろしく 厳飾を存し、 兼て潔清を尽すべし。近くは諸天を感じ、臨護を庶幾ふべし。遐邇(かじ・ 遠近)に布告す、 朕が意を知らしむべし。又国ごとに、僧寺には封五十戸・水田十町を施し、尼寺には水田十町。僧寺には必ず廿僧有らしめ、其の寺の名を金光明四天王護国之寺となし、尼寺には一十尼あって、其の寺の名を法華滅罪之寺となし、両寺相共に宜しく教戒を受くべし。若闕有ば、即須其れを補満すべし。其の僧尼は、毎月八日には必ずまさに最勝王経を転読すべし。月半ばに至るごとに戒羯磨を誦し、毎月六斎日には公私漁猟殺生することを 得ざれ。国司等宜しく恒に検校を加うべし」