第十一講 真実にして虚むなしからず
(般若波波羅蜜多は自他を救う究極の呪である)
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
空間の一生
あの『青い鳥』という名高い本を書きましたメーテルリンクは、『空間の一生』という短篇のなかで、こんなことをいっております。
「人間の一生は、つまり一巻の書物だ。毎日私どもは、その書物の一ページを必ず書いておる。あるものは、喜びの笑いで書き、あるものは、また悲しみの涙で書いている。とにかく、人間はどんな人でも、何かわからぬが、毎日、一ページずつ書いているんだ。しかし、その日その日の、一ページずつが集まって、結局、貴とうとい人生の書物になるんだ。ただし、その書物の最後の奥付は墓石だ」
というような事を書いております。私どもは人生を橋渡りに喩たとえた、アジソンの『ミルザの幻影』と思い較くらべて、この人生の譬喩たとえを非常に意味ふかく感じます。
人生の書物に再版はない
人生は一巻の書物! たしかにそれはほんとうでしょう。私どもがお互いにペンや筆で書いた書物には、「再版」ということがあります。しかし人生の書物には、決して再版ということはありませぬ。有名な戯曲家チェホフもいっています。「人生が二度とくりかえされるものなら、一度は手習い、一度は清書」といっていますが、習字のお稽古けいこだったら、それも可能でしょう。だが、人生は手習いと清書とをわけてやることはできません。手習いがそのまま清書であり、清書がそのまま手習いです。したがってほんとうの書物ではミスプリントがあれば、すなわち誤植があれば、ここが間違っていた、あすこが違っていたというので、後から「正誤表」をつけたり、訂正したりすることができますが、「人生の書物」は、それができないのです。誤植は誤植のまま、誤りはあやまりのままで、永遠に残されてゆくのです。後になって、ああもしておけばよかった、こうもしておけばよかったと後悔しても、すべては皆後の祭りです。ロングフェローが、
「いたずらに過去を悔やむこと勿なかれ。甘き未来に望みをかけるな。生きよ、励めよ、この現在に」
といっているのは、たしかにそれです。かの蓮如上人が、
「仏法には、明日と申すこと、あるまじく候。仏法のことは急げ急げ」
といっているのは、たしかに面白い語ことばです。しかし「明日と申すことあるまじく候」というのは、なにも独り仏法にのみ限ったことではないのです。でき得べくんば、私どもが人生の書物を書く場合にも、この心持で、なるべく誤植のないように、後から訂正をしなくてもすむように、書いてゆきたいものです。少なくとも「汗」と「膏あぶら」の労働によって、勤労によって、一ページずつを、毎日元気に、朗らかな気持で、書いてゆきたいものです。まことに人生のほんとうの喜び楽しみは、断じて、あくことなき所有慾や物質慾によって充みたされるものではありません。人生創造の愉快な進軍ラッパは、放縦ほうじゅうなる享楽の生活に打ち勝って、地味な、真面目まじめな「勤労」に従事することによってのみ、高く、そして勇ましく、吹き鳴らされるのではありませんか。
おもうに、人生を「橋渡り」に、あるいは「一巻の書物」に譬たとえることも、きわめて巧みな譬喩ひゆではありますが、結局、なんといっても私ども人間の一生は旅行です。生まれ落ちてから、死ぬまでの一生は、一つの旅路です。しかし、その旅は、「名物をくうが無筆の道中記」でよいものでしょうか。私どもは二度とないこの尊い人生を、物見遊山の旅路と心得て、果たしてそれでよいものでしょうか。私どもの人生は、断じて「盥たらいよりたらいに移る五十年」であってはなりません。
東海道中膝栗毛のこと
十遍舎一九の書いた『東海道中膝栗毛』という書物をご存じでしょう。弥次郎兵衛やじろべえ、喜多八の旅行ものがたりです。旅の恥はかきすて、浮世は三分五厘と、人生を茶化して渡る、彼らの馬鹿気ナンセンスな行動を読んだ時、全く私どもはふき出さずにはおられません。彼らは、お江戸日本橋をふり出してから、京の都へ落ちつくまで、東海道の五十三次つぎ、どの宿でも、どこの宿場でも、ほんとうに失敗しくじりのし通しです。人を馬鹿にしたようなあの茶目ぶり、読んで面白いには相違ありませんが、しかしなんだか嬲なぶられているようで、寂しい感じも起こるのです。「とかく浮世は色と慾」といったような人生観が、あまりにも露骨に描かれているので、人間の浅ましさが、まざまざ感じられて、厭いやな気にもなるのです。道中膝栗毛だからまだよいが、これがもしも私どもの人生の旅路だとしたなら、果たしてどんなものでしょうか。どうせ長くない命だ。勝手に、したい放題なことをして、世を渡るという、そんな不真面目な人生観は、極力排撃せねばならぬのです。
いったい私どもの人生は誰でもみんな、ある一つの「使命」を帯びている旅なのです。ひょっこりこの世に生まれ出て、ボンヤリ人生を暮らしてゆくべきではないのです。しかし、世の中には人間の一生道中を、用事を帯びているとも知らず、ただうかうかと暮らしてゆくものが、案外に多いのです。果たしてそれでよいものでしょうか。「うかうかと暮らすようでも瓢箪ひょうたんの、胸のあたりにしめくくりあり」とも申しています。私には私だけの用事があるのです。人間多しといえども、私以外にいま一人の私はいないのです。私は私より偉くもないが、また私よりつまらぬ人間でもないのです。
所詮、私は私です。私の用事は、この私が自分でやらねばなりません。私以外に、誰がこの私の仕事をやってくれるものがありましょう? だから、私どもは、なにも他人の仕事を羨うらやむ必要はないのです。他人は他人です。私は私の本分(つとめ)を尽くすうちに、満足を見出してゆくべきです。したがって、私たちは、決して自分おのれの使命を他人に誇るべきではありません。靴屋くつやが靴を作り、桶屋おけやが桶を作るように、黙って自分の仕事を、忠実にやってゆけばよいのです。だが、私どもの人生の旅路は、坦々たんたんたるアスファルトの鋪道ではありません。山あり、川あり、谷あり、沼ありです。
越えなばと思いし峯に来てみればなおゆくさきは山路なりけり
です。「人間万事塞翁(さいおう)が馬」です。よいことがあったかと思うと、その蔭かげにはもう不幸が忍び寄っているのです。落胆の沼に陥り、絶望の城に捕虜とりこになったかと思うと、いつの間にやら、また享楽の都を通る旅人になっているのです。いたずらに悲観することも、無駄むだなことですが、楽観することも慎まねばなりません。油断と無理とはいつの時代でも禁物です。
なんでもないつまらぬことに悲観して、もう、身のおきどころがないなどと、世をはかなみ、命を捨てることは、ほんとうにもったいない話です。行き詰まって、絶体絶命の時こそ「ちょっと待て!」です。「立ち止まって視よウエイト・アンド・シイ」です。すべからく目を翻ひるがえしてみることです。思いかえすこと、見直すことです。心を転ずることです。「転心の一句」こそ、行詰まりの打開策です。「裸にて生まれてきたになに不足」の一句によって、安田宝丹ほうたん翁は、更生したといわれています。事業に失敗したあげ句の果て、もう死のうとまで決心した彼は、この一句によって復活しました。そしてとうとう後の宝丹翁とまでなったと聞いています。「転」の一字こそ、まさしく更生の鍵かぎです。禍を転じて福となす(転禍為福てんかいふく)といわれているように、私どもはこのたびの敗戦を契機として、ぜひともこの「転」の一字を十分に噛かみしめ、味わい、再建日本のための貴い資糧とせねばならぬと存じます。
ところで人生を旅路と考え、弥次郎兵衛、喜多八の膝栗毛を思い、東海道五十三次の昔の旅を偲しのぶとき、私どもは、ここにあの善財童子の求道譚を思い起こすのです。善財童子は文殊菩薩もんじゅぼさつの指南によって、南方はるかに五十三の善智識を尋ね、ついに法界に証入して、まさしく悟れる仏陀ほとけになったのですが、この物語は、かの『華厳経』(この第一講をみよ)のほとんど大半を占めている有名な話です。人生の旅路を、菩薩の修業に託して説いてくれた古いにしえの聖者の心持が、尊くありがたく感ぜられるのです。おそらく、東海道の宿場を五十三の数に分けたことは、この善財童子の求道譚に、ヒントを得たものと存じます。
「林を出いでて還かえってまた林中に入る。便すなわち是れ娑羅仏廟さらぶつびょうの東、獅子しし吼ほゆる時、芳草ほうそう緑みどり、象王廻めぐる処ところ落花 紅くれないなりし」
と仏国禅師ぶっこくぜんじは、善財の求道の旅を讃嘆さんたんしておりますが、いうまでもなく、獅子とは、文殊菩薩のこと、象王とは普賢菩薩のことです。文殊と普賢の二人によって、まさしく青年善財は、ついに悟りの世界に到達したのです。私どもはバンヤンの『天路歴程てんろれきてい』や、ダンテの『神曲』に比して、優まさるとも決して劣らぬ感銘を、この求道物語からうけるのです。私どもは善財童子のように、人生の旅路を、一歩一歩真面目に、真剣に、後悔のないように歩いてゆきたいものであります。
さて前置きがたいへん長くなりましたが、これからお話しするところは、
「故に知る。般若波羅蜜多はんにゃはらみたは、是れ大神呪じんしゅなり。是れ大明呪みょうしゅなり。是れ無上呪むじょうしゅなり。是れ無等等呪むとうどうしゅなり。能よく一切の苦を除く、真実にして虚むなしからず」
という一節であります。
不思議な呪
ところで、ここで問題になるのは「呪」ということです。呪とは口偏に兄という字ですが、普通にこの呪という字は「のろい」とか、「のろう」とかいうふうに読まれています。で、「呪」といえば世間では、「のろってやる」とか「うらんでやる」という、たいへん物騒な場合に用いる語ことばのように考えられています。しかしまたこれと同時に、この呪という字は「呪文じゅもんを唱える」とか「呪禁まじないをする」とかいったように、「まじない」というふうにも解釈されているのです。毎日、新聞の社会記事に目を通しますと、呪禁まじないをやって、とんでもない事をしでかす人の多いことに私どもは呆あきれるというよりも、むしろ悲しく思うことがあります。怪しげな呪禁まじないや祈祷いのりをして、助かる病人まで殺してみたり、医者の薬を遠ざけて、ますます病気を悪くしてみたり、盛んに迷信や邪信を鼓吹して、愚夫愚婦を惑わしている、いいかげんな呪術師まじないしがありますが、ほんとうにこれは羊頭を掲げて狗肉くにくを売るもので、あくまでそれは宗教の名において排撃せねばなりません。世間には「真言秘密の法」などと看板を掲げて、やたらに怪しげな修法しゅほうをやっているものもありますが、真言の祈祷はそんな浅薄な迷信を煽あおるようなものでは、断じてないのです。それこそ神聖なる真言の教えを冒涜ぼうとくする、獅子身中の虫といわざるを得ないのです。しかし、いったいこの「呪じゅ」という字は、気のせいか、眼でみるとその恰好かっこうからしてあまり感じのよくない字です。世間では「呪」というと、ただちに迷信を聯想れんそうするほど、とかく敬遠されている語ことばです。
けれどもこれが一たび仏教の専門語として、用いられる時には、きわめて深遠な尊い意味をもってくるのです。めんどうなむずかしい学問的な詮索せんさくは別として、この「呪」という字は、梵語の曼怛羅マントラという字を翻訳したものです。したがってそれは、真言または陀羅尼だらになどという語ことばと、同様な意味をもっているのです。いうまでもなく、真言とは、「まことの言葉」です。まことの言葉は、神聖にして、犯すべからざる語です。私たち凡夫ぼんぷの語には、うそいつわりが多いが、仏の言葉には、決してうそいつわりはありません。「世間虚仮せけんこけ、唯仏是真ゆいぶつぜしん」と聖徳太子は仰せられたといいますが、全くその通りで、凡夫の世界はいつわりの多い世界です。私どもは平生よく「うそも方便だ」ナンテ平気で、うそいつわりをいい、ヒドイのは「うそが、方便だ」と考えている人があります。が、凡夫の言葉は、「真言」ではなくて「虚言」です。この虚言すなわちうそ偽りについてこんな話があります。それはかの無窓国師むそうこくしの話です。国師は足利尊氏あしかがたかうじを発心ほっしんせしめた有名な人ですが、この無窓国師は「長寿ながいきの秘訣(ひけつ)」すなわち長生の方法について、こんな事をいっています。
「人は長生きせんと思えば、嘘うそをいうべからず。嘘は心をつかいて、少しの事にも心を労ついやせり。人は心気だに労せざれば、命ながき事、疑うべからず」
といって、さらに、
「無病第一の利、知足第一の富、善友第一の親、涅槃ねはん第一の楽」(もとは大荘厳論経にあります。似た文句は出曜経にも「無病第一の利、知足第一の富、知親第一の親、泥洹第一の楽」とあります。)
といっておりますが、真理は平凡だといわれるように、たしかにこれは真理のことばです。
まことに無窓国師のいわれる通り、仏の言葉には、嘘がないから、仏は長寿の人です。不死の人です。いわゆる無限の生命を保てる、無量寿むりょうじゅであるわけです。次に陀羅尼だらにという語(ことば)ですが、これもまた梵語で、翻訳すれば「惣持そうじ」、総すべてを持つということで、あの鶴見つるみの惣持寺そうじじの惣持です。で、陀羅尼とは、つまりあらゆる経典おきょうのエッセンスで、一字に無量の義を総すべ、一切の功徳くどくをことごとく持っているという意味です。世間の売薬に「陀羅助だらすけ」というにがい薬があります。これはたいへん古い薬で、私ども子供のころ、腹痛の時には、よくこの薬を服のまされたものですが、これはくわしくはダラニスケ(陀羅尼助)で、この薬は万病によく利きくという所から、梵語の陀羅尼を、そのままそっくり「薬の名」としたのだろうと思います。ただし、陀羅尼助の助が、どんな意味であるか、私にはわかりませんが、おそらくこの薬をのめば助かる、という意味でつけたものだろうと思います。要するに、厳密にいえばマントラとダラニとは、多少意味が異なっていますが、結局は、真言も陀羅尼も呪ということも、だいたい同じでありまして、神聖なる仏の言葉、その言葉の中には、実に無量の功徳が含まれているというのであります。仏教特に真言密教では、非常にこの呪を尊重していますが、いったい真言宗という宗旨は、法身ほとけの真言ことばに基礎をおいているので、日本の密教のことを、真言宗というのです。弘法大師は、「真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く。一字に千理を含み、即身に法如を証す」(秘鍵ひけん)といっておられますが、これによって呪の意味をご理解願いたいと存じます。ところで、この「呪」についてこんな話があります。それはちょっと聞くと、いかにも、陳腐ちんぷな話ですが、味わってみるとなかなかふかい味のある話です。
阿弥陀さまは留守 ある日のことです。有名な白隠禅師がお寺で提唱していたときのこと、その聴衆の中に、一人の念仏信者のお爺じいさんがありました。禅師の話を聞きつつ、しきりに小声で、お念仏を唱えていました。禅師は提唱を終わってから、その老人を自分の居間に呼んで、試みに念仏の功徳を尋ねてみたのです。
「いったいお念仏はなんの呪まじないになるか」
と問うたのです。その時に老人の答えが面白いのです。
「禅師、これは凡夫ぼんぷが如来ほとけになる呪まじないです」
というのです。そこで白隠は、
「その呪いはいったい誰が作られたか、阿弥陀あみださまはどこにおられる仏さまか。いまでも阿弥陀さまは極楽にござるかの」
といって、いろいろと念仏信者の老人を試ためしたのです。すると老人の答えが実に振るっているのです。
「禅師さま、阿弥陀さまは、いまお留守です」
と、こういったのです。阿弥陀さまはいま極楽にいないという答えです。留守だという不思議な答えを聞いた白隠は、さらに、
「しからばどこへ行ってござるか」
と追及しました。その時老人は、
「衆生済度しゅじょうさいどのために、諸国を行脚あんぎゃせられています」
と答えました。そこで禅師は、
「では今ごろはどこまで来てござるか」
と尋ねた時に、その老人は静かにこういいました。
「禅師さま、阿弥陀さまは、ただ今ここにおいでです」
といって、老人はおもむろに自分の胸に手をあてたのでした。これにはさすがの白隠もスッカリ感心したという話が伝わっています。果たしてこれが、事実であったかどうか、詮索せんさくの余地もありましょうが、自力教の極端である禅宗と、他力教の極端である真宗とは、たといその説明方法においてこそ、異なりはあっても、結局はいずれも大乗仏教である以上、
「仏、我れにあり」
という安心においては、なんの異なりもないのです。
「南無なむといえば阿弥陀来にけり一つ身をわれとやいわん仏とやいわん」
です。念仏によるか、坐禅ざぜんによるか、信心しんじんによるか、公案(坐禅)によるか、その行く道程みちは違っていても、到着すべきゴールは一つです。
宗論しゅうろんはどちら負けても釈迦(しゃか)の恥
と川柳子も諷刺ふうししておりますが、いたずらに私どもは、自力だ、他力だ、などという「宗論」の諍あらそいに、貴重な時間を浪費せずして、どこまでも自分に縁のある教えによって、その教えのままに、真剣に、その教えを実践すべきだと思います。目ざす理想の天地は、結局般若はんにゃの世界です。般若への道には、むろんいろいろありますが、目的地は結局一つです。「般若は三世の諸仏を産み、三世の諸仏は般若を説く」と、古人はいっておりますが、「仏に成る」という仏教の理想は、つまり般若の世界に到達することです。ところで、この『心経』の本文には、「是れ大神呪じんしゅ、是れ大明呪みょうしゅ、是れ無上呪むじょうしゅ、是れ無等等呪むとうどうしゅ」といって、四種の「呪」が挙あげてありますが、要するに、これは般若波羅蜜多はんにゃはらみたは、最も勝すぐれた仏の真言だ、ということをいったものです。つまりこの般若波羅蜜多が、そのまま陀羅尼だらになのです。真言しんごんなのです。呪じゅなのです。で、この般若の功徳を四通りに説明し、讃嘆したのが、ここにあるこの四種の呪です。さてまず第一に、「是れ大神呪なり」とは、神とは霊妙不可思議という意味ですから、これ大神呪なりということは、われら人間の浅薄な知識では、容易に測り知ることのできぬ、霊妙不可思議なる仏のことばだということです。次に「是れ大明呪なり」とは、明とは、光明の明ですから、この般若の真言こそ永遠に光り輝く、仏の神聖なることばだということです。次に「是れ無上呪なり」とは、この上もない最上の呪文じゅもんだということです。次に「是れ無等等呪なり」とは、とうてい何物にも比較することのできない、勝れた呪文だということです。
要するに、この四種の「呪」は、般若波羅蜜多は、この世において、最も勝れたる、何物にも比較することのできない、不可思議なる功徳をもつ所の真言であって、この中には一切の仏の説かれた教えが、ことごとく含まれている、ということをいったものであります。ところで弘法大師はこの呪文をば、声聞しょうもんと縁覚えんがくと菩薩と仏の真言として四通りに配釈しておりますが、声聞と縁覚とは小乗、菩薩と仏とは大乗(第一講を見よ)でありますから、結局大小乗一切の仏教は、ことごとくこの「般若波羅蜜多」という一つの呪に摂おさまってしまうわけです。ゆえに今日わが国には、十三宗しゅう、五十数派、いろいろの宗旨や宗派もありますが、それがいずれも仏教である以上、つまりいろいろの角度からいろいろの方面から、この「般若の呪」を説明し、解説したものということができるのであります。したがって、われらにして、もしもほんとうに観自在菩薩のように、般若の智慧を磨いて、如実にょじつにこれを実践し、実行するならば、自己の苦しみはいうまでもなく、他人の一切の苦しみをも、よく除きうるのでありまして、それを『心経』に、「能よく一切の苦を除く、真実にして虚(むなし)からず」といってあるのです。全く真実不虚ふこです。嘘うそだといって疑う方がわるいのです。真理だ、ほんとうに疑うべからざる真理だとして、ただ信じ、これを実行すればよいのです。けだし「般若波羅蜜多」という事は、屡次るじ申し上げたごとく、彼岸へ渡るべき智慧の意味であり、同時にそれは迷いのこの岸から、悟りの彼岸へ渡った、仏のもっている智慧であります。しかもその智慧は、一切は因縁だと覚さとる所の智慧ですから、結局、因縁という二字を知るのが、この般若の智慧です。かつて、釈迦は「因縁」の真理に目醒めざめることによって、覚れる仏陀ほとけになったのです。したがって、私どももまた、この因縁の真理をほんとうに知ることによって、何人も仏になりうるのです。しかも因縁を知ったものは、因縁を殺すものではなくて、因縁をほんとうに生かす人です。しかもその因縁を活(い)かす人こそ、はじめて一切空くうの真理を、味わうことができるのです。しかし、その空は何物もないという、単なる虚無というようなものではありません。それは有うを内容とする空ですから、私ども人間の生活は、空に徹することによってのみ、有の存在、つまりその日の生活は、りっぱに活かされるのです。かくて、真に空を諦あきらめ、空を覚悟する人によってのみ、はじめて人生の尊い価値は、ほんとうに認識されるのです。
播州の瓢水
その昔、播州ばんしゅうに瓢水ひょうすいといふ隠れた俳人がありました。彼の家は代々の分限者で、彼が親から身代を譲りうけた時には、千石船が五艘そうもあったといわれていましたが、根が風流人の彼のこと、さしもの大きい身代も、次第次第に落ちぶれて、あげくのはては、家や屋敷も人手に渡さなければならぬようになりました。しかし彼は、
蔵くら売うって日当ひあたりのよき牡丹ぼたんかな
と口ずさみつつ、なんの執着もなく、晩年は仏門に入り名を自得と改めて、悠々ゆうゆう自適の一生を、俳句三昧ざんまいに送ったといわれています。その瓢水翁が、ある年の暮れ、風邪かぜをひいてひき籠こもっていたことがありました。折りふし一人の雲水うんすい、彼の高風を慕って、一日その茅屋あばらやを訪れたのですが、あいにく、薬をとりに行くところだったので、「しばらく待っていてくだされ」といい残しつつ、待たせておいて、自分は一走り薬屋へ用たしに行きました。後に残された件くだんの雲水、
「瓢水は生命いのちの惜しくない人間だと聞いていたが、案外な男だった」
といい捨てて、そのまま立ち去ってしまったのです。帰ってこの話を近所のものから聞いた瓢水、
「まだそんなに遠くは行くまい、どうかこれを渡してくだされ」
といいつつ、一枚の短冊たんざくに、さらさらと書き認したためたのは、
浜までは海女(あま)も簑(みの)きる時雨(しぐれ)かな
という一句だったのです。
これを受け取った件くだんの雲水、非常にわが身の浅慮を後悔し、再び瓢水翁を訪れて一晩じゅう語り明かしたということです。まことに「浜までは海女も簑きる時雨かな」です。私はこの一句を口ずさむごとに、そこにいい知れぬ深い宗教味を感じるのです。俳句の道からいえば、古今の名吟とまではゆかないでしょうが、宗教的立場から見れば、きわめて宗教味ゆたかな含蓄のある名吟です。やがては濡れる海女さえも、浜までは時雨を厭うて簑をきる、この海女の優にやさしい風情こそ、教えらるべき多くのものがあります。それはちょうど、ほんとうに人生をあきらめ悟った人たちが、うき世の中を見捨てずに、ながい目でもって、人生を熱愛してゆくその心持にも似ているのです。一切空だと悟ったところで、空くうはそのまま色しきに即そくした空であるかぎり、煩わしいから、厭になった、嫌きらいになった、つまらなくなったとて、うき世を見限ってよいものでしょうか。まことに「浜までは」です。けだし「浜までは」の覚悟のできない人こそ、まだほんとうに空を悟った人とはいえないのです。(いつもこの句と一茶の「露の世は露の世ながらさりながら」という句をセットで思い起こしますが、一茶の句のほうが凡夫の心境には近いといえましょう)
芭蕉の辞世
あの『花屋日記』の作者は、私どもに芭蕉ばしょう翁の臨終の模様を伝えています。
「支考しこう、乙州いっしゅうら、去来きょらいに何かささやきければ、去来心得て、病床の機嫌きげんをはからい申していう。古来より鴻名こうめいの宗師そうし、多く大期たいごに辞世じせい有り。さばかりの名匠の、辞世はなかりしやと世にいうものもあるべし。あわれ一句を残したまわば、諸門人の望のぞみ足りぬべし。 師の言う、きのうの発句はきょうの辞世、今日の発句はあすの辞世、我が生涯言い捨てし句々一句として辞世ならざるはなし。もし我が辞世はいかにと問う人あらば、この年ごろいい捨ておきし句、いずれなりとも辞世なりと申したまわれかし、『諸法従来、常に寂滅相を示す』、これはこれ釈尊の辞世にして、一代の仏教、この二句より他はなし。古池や蛙かわずとび込む水の音、この句に我が一風を興せしより、はじめて辞世なり。その後百千の句を吐くに、この意こころならざるはなし。ここをもって、句々辞世ならざるはなしと申し侍はべるなりと」
ほんとうの遺言状
まことに、昨日の発句は、きょうの辞世、今日の発句こそ、明日の辞世である。生涯しょうがいいいすてし句、ことごとくみな辞世であるといった芭蕉の心境こそ、私どもの学ぶべき多くのものがあります。こうなるともはや改めて「遺言状」を認したためておく必要は少しもないわけです。
私どもは、とかく「明日あり」という、その心持にひかれて、つい「今日の一日」を空むなしく過ごすことがあります。いや、それが多いのです。「来年は来年はとて暮れにけり」とは、単なる俳人の感慨ではありません。少なくとも私どものもつ一日こそ、永遠に戻り来きたらざる一日です。永遠の一日です。永遠なる今日です。「一期ご一会え」の信念に生くる人こそ、真に空に徹した人であります。
空に徹せよ
げに般若の真言こそ、世にも尊く勝れたる呪まじないです。最も神聖なる仏陀ほとけの言葉です。私どもは、少なくとも、般若の貴い「呪」を心に味わい噛かみしめることによって、自分おのれの苦悩なやみを除くとともに、一切の悩める人たちの魂を救ってゆかねばなりません。
空くうに徹せる菩薩こそ、真に私どもの生ける理想の人であります。