福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

十善戒和讃略解(慈雲尊者・釋雲照)、22(最終回)

2020-02-22 | 十善戒

百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば 萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし」(慈雲尊者の和讃終わり)
未曽有因果経に「仏、波斯匿王に告げたまはく『世人、心粗なること例えば猿の如し。諸々の煩悩の為に動転せらる。この故に十善道を行ぜんとおもふ者は遅れてはならない。十善戒を修行するに三時という概念がある。まず、晨より食時にいたる(間、守るを)名つ゛けて上時とする。
次に、(十善戒を)一食の間を(守って)経るを、中善という。次に、百歩を行くの間(十善戒を守る)を下時とす。』王のもうさく『世尊の説きたまふがごとく、三時を限りて十善行をたもつものはその功徳すくなからん。如何ぞ福を生ぜん』と。仏、王に告げたまはく、『人、十善を修する時節、ちじまれりといえども、功報いよいよ廣し。何を以ての故に、心道の三戒、不慳貪・不瞋恚・不邪見は守護する事,難きがゆえに、少時といえどもmこれを保てば果報は無量なり。たとえば百年の間に於いて積み上げし薪草を火を以て焼くに須臾にして滅尽するがごとし。この故に知るべし。少時の修善よく無量の悪業重罪を滅す。大王よ、まさに知るべし、十善を修することもまさに此の如し。須臾の功、能く無量の悪業重罪を滅し、能く行者をして菩提の芽をおこさしむ。萌芽生ずるがゆえに漸漸に増長して仏果を成ぜん、云々。』時に王をはじめ群臣・吏民・後宮夫人等四十余人、大いに皆、無上菩提心をおこせり」とある。世人よろしく知るべし、彼の松実・銀杏は其の実微小なりといえども之を種植すれば雨霧の縁熟すを待って能く凌雲大樹となるにあらずや。百歩の間の善行、その功力を費やす、甚だ少なしといえども、その結果の徳、いよいよ広大なり。・・切に希う、諸賢、深く因果の真理を信じ、篤く十善業道を尊重して、自らを利益し、他を利し、一切衆生と共に解脱の道に進むべし。又朝暮勤行の時はこの十善和讃を唱えて、仏法僧、真実の功徳を讃嘆し奉るべし。これを和讃の略解となす。
明治二十五年九月、釈雲照




十善戒和讃全文「 帰命頂礼 十善戒、 十方三世の諸如来の三十二種の妙相もこの浄戒を種因とす。戒定智慧も三密も三十七の道品も身三口四と意三より 皆生じたる功徳なり。世間諸善の根本にて人の人たる道なれば、出家在家も持つ(たもつ)べく老若長幼奉ずべし 。龍樹菩薩の教誡に 仏果を期して戒なきは、渡りに船のなき如く 到るを得じと、のたまえり。昔、比丘あり、行く道に渇きに迫り水を得て、蟲の命をあわれみて 死して道果を得たりけり。また八才の少沙弥の、水の流れて蟻穴に入るを救いし功徳にて 夭死転じて長寿せり。また、毘舎伽母の指の輪の 落ちて入江に沈みしも、元の指端に還りたるためしは実にいなまれず。影勝王の像の子の産に臨みて悩みしを牧牛の女の操もて、誓いて分娩せしめたり。斑足王の猛悪も 実語のとくに感悟して、九十九余の命をも放ちて道に入りにけり、言辞弁舌明瞭に生まれし種(もと)は不綺語なり。時候和順に資産富み 草木さえ皆色ぞ増す。人天中に香はしきものは善語に過ぐるなし。妻子眷属和悦して上下人心、皆服す。主従和睦違わぬは 不両舌語の功徳なり。親好厚く和敬せば これぞ菩薩の心なる。足ることを知る人の身は 地上に臥すも浄土なり。 己をせめて施せよ、多欲は餓鬼の種因なり。世を乱し、身を滅ぼすは皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、とか一子の慈悲を運ぶべし。八正の道広けれど 邪見の人ぞ踏み迷う。己が顔貌智慧技量 皆善悪の影ぞかし。神も聖もみ仏も みなこの道に由りたもう。これぞ真実の道なれば この道撥無するなかれ。妻子珍宝及王位 死出の旅路の共ならず。唯この戒の功徳のみ 身に添う三世の友ぞかし。百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば、萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし]  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鎌倉七太子霊場 | トップ | 金山穆韶 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

十善戒」カテゴリの最新記事