福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

十善戒和讃略解(慈雲尊者・釋雲照)、16

2020-02-16 | 十善戒

主従和睦違わぬは 不両舌語の功徳なり 親好厚く和敬せば これぞ菩薩の心なる
両舌とは離間語ともいう、人の仲を悪くせしむる語なり。本戒に止善と行善とあり。止善について有部広律に、共に仲良く育った牛の子と獅子の子が母獅子の遺言である「離間語に気をつけよ」という言葉に従わず、狐の離間語を信じて死闘となり共に死んだという話がある。その時、釈迦如来は「汝諸々の弟子、この畜生、その両舌を聞きて母の遺言を憶はざるによって遂に相殺すに至る。何ぞ況や人に於いて離間語をなさんや、この故に汝たち當に他において離間語をなすべからず」とのたまわう。憎むべきは両舌語なり。小にしては一身を喪い、大にしては国家を亡す。両舌を畏れ慎みて犯さざるを不両舌戒の止善の相となす。

次に行善の相(積極的に善を行う面)とは、昔、一匹の象が迦尸国と比提醘(ひだいけい)国の間を「勝ちを得ては怨みを増長す、負くるは益益憂苦す、勝ち負けを争わざるものはその楽最も第一なり」という偈を説いて取り持ったことがある。お釈迦様は「この時の迦尸国王はいまの波斯匿王、比提醘(ひだいけい)国王は阿闍世王、象は我が身これなり」とおしゃっている。(雜寶藏經による)




十善戒和讃全文「 帰命頂礼 十善戒、 十方三世の諸如来の三十二種の妙相もこの浄戒を種因とす。戒定智慧も三密も三十七の道品も身三口四と意三より 皆生じたる功徳なり。世間諸善の根本にて人の人たる道なれば、出家在家も持つ(たもつ)べく老若長幼奉ずべし 。龍樹菩薩の教誡に 仏果を期して戒なきは、渡りに船のなき如く 到るを得じと、のたまえり。昔、比丘あり、行く道に渇きに迫り水を得て、蟲の命をあわれみて 死して道果を得たりけり。また八才の少沙弥の、水の流れて蟻穴に入るを救いし功徳にて 夭死転じて長寿せり。また、毘舎伽母の指の輪の 落ちて入江に沈みしも、元の指端に還りたるためしは実にいなまれず。影勝王の像の子の産に臨みて悩みしを牧牛の女の操もて、誓いて分娩せしめたり。斑足王の猛悪も 実語のとくに感悟して、九十九余の命をも放ちて道に入りにけり、言辞弁舌明瞭に生まれし種(もと)は不綺語なり。時候和順に資産富み 草木さえ皆色ぞ増す。人天中に香はしきものは善語に過ぐるなし。妻子眷属和悦して上下人心、皆服す。主従和睦違わぬは 不両舌語の功徳なり。親好厚く和敬せば これぞ菩薩の心なる。足ることを知る人の身は 地上に臥すも浄土なり。 己をせめて施せよ、多欲は餓鬼の種因なり。世を乱し、身を滅ぼすは皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、とか一子の慈悲を運ぶべし。八正の道広けれど 邪見の人ぞ踏み迷う。己が顔貌智慧技量 皆善悪の影ぞかし。神も聖もみ仏も みなこの道に由りたもう。これぞ真実の道なれば この道撥無するなかれ。妻子珍宝及王位 死出の旅路の共ならず。唯この戒の功徳のみ 身に添う三世の友ぞかし。百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば、萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし]  

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