福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

十善戒和讃略解(慈雲尊者・釋雲照)、21

2020-02-21 | 十善戒

(十善戒を)百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば 萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし」(慈雲尊者の和讃終わり)
 十善戒を持つは菩提心を起すなり、菩提心を起すは
 仏に供養するなり、仏に供養するは自他の滅罪生善
 浄安楽の種植なり。
 百歩の間の善行も増長縁(増上縁のこと、他の物事が生ずることを助 ける働きをする縁)と加持力を被り漸漸に仏道
 成就すと、のたまえり。
 須らく少時も惜しみて三宝真実の功徳を日日朝夕讃嘆
 して諸仏の妙加の弥や増さんことを懇希して止まざるのみ。

大乗十来の誡( 因果経より
富貴は慈悲行よりきたる。
貧窮は慳貪よりきたる。
福徳は善根よりきたる。
愛敬は 忍辱よりきたる。
智慧は精進よりきたる。
高位は礼拝よりきたる。
短命は殺生よりきたる。
愚蒙は破戒よりきたる。
無病は信心よりきたる。
病身は不浄よりきたる。

 涅槃経に曰く 「善因善果 悪因悪果の報い、影の随う如く三世因果循環して失せず、今生空しく過ぎて後悔に迫らるること勿れ」と。
     




十善戒和讃全文「 帰命頂礼 十善戒、 十方三世の諸如来の三十二種の妙相もこの浄戒を種因とす。戒定智慧も三密も三十七の道品も身三口四と意三より 皆生じたる功徳なり。世間諸善の根本にて人の人たる道なれば、出家在家も持つ(たもつ)べく老若長幼奉ずべし 。龍樹菩薩の教誡に 仏果を期して戒なきは、渡りに船のなき如く 到るを得じと、のたまえり。昔、比丘あり、行く道に渇きに迫り水を得て、蟲の命をあわれみて 死して道果を得たりけり。また八才の少沙弥の、水の流れて蟻穴に入るを救いし功徳にて 夭死転じて長寿せり。また、毘舎伽母の指の輪の 落ちて入江に沈みしも、元の指端に還りたるためしは実にいなまれず。影勝王の像の子の産に臨みて悩みしを牧牛の女の操もて、誓いて分娩せしめたり。斑足王の猛悪も 実語のとくに感悟して、九十九余の命をも放ちて道に入りにけり、言辞弁舌明瞭に生まれし種(もと)は不綺語なり。時候和順に資産富み 草木さえ皆色ぞ増す。人天中に香はしきものは善語に過ぐるなし。妻子眷属和悦して上下人心、皆服す。主従和睦違わぬは 不両舌語の功徳なり。親好厚く和敬せば これぞ菩薩の心なる。足ることを知る人の身は 地上に臥すも浄土なり。 己をせめて施せよ、多欲は餓鬼の種因なり。世を乱し、身を滅ぼすは皆一朝のいかりなり。一切男女は過去の父母、とか一子の慈悲を運ぶべし。八正の道広けれど 邪見の人ぞ踏み迷う。己が顔貌智慧技量 皆善悪の影ぞかし。神も聖もみ仏も みなこの道に由りたもう。これぞ真実の道なれば この道撥無するなかれ。妻子珍宝及王位 死出の旅路の共ならず。唯この戒の功徳のみ 身に添う三世の友ぞかし。百歩の間持(たも)つすら 仏になるとのたまえば、萬行中の易行なり 唯 ひたすらに守るべし]  

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