「延命を主とする医療は(死を敗北とみて)死から我々を遠ざけるという役目のみを果たすが、それに対して仏教は『死すべき身』 として自己を自覚し、死すべき縁に出遭えば死を受容していくことを教えているのである。したがって死を受容していく自覚を持たせることが必要な末期医療などにこそ、仏教は積極的に関与していく責任がある。人間は自分の生命を維持したり、少しでも長い人生でありたいと願いそのために健康増進をはかることは当然認められるべきではあるが、しかしそこには自ずと限界がある。ひたすら延命だけを求める自我愛に終始するのでなく、生老病死する命の真実に目覚め「人生は長さだけではない。深さもあれば幅もある」という仏教の思想に基つ゛いて命の長短の価値観が破られるとき、「長くてもよし、短くてもよし」と、自らの人生を「死すべき身」として引き受けつつ只今をベストに生きる人生の在り方が自覚されてくる。・・大谷大学、学苑余話
90代の身内の例をみても死ぬのが恐ろしいという気持ちがひしひしと伝わってきます。気力のあるうちに死後の世界を自分なりにいかに納得していくかが必要不可欠です。これは誰も避け通れません。
90代の身内の例をみても死ぬのが恐ろしいという気持ちがひしひしと伝わってきます。気力のあるうちに死後の世界を自分なりにいかに納得していくかが必要不可欠です。これは誰も避け通れません。