中臣祓訓解、(伝弘法大師作)から・・・3
大麻(おおぬさ、幣)の体相(本質と姿)は自性清浄の三昧耶(幣は自分が本来清浄であるということを顕す象徴)。普現三昧の形表なり(何処にでも現れて衆生済度するという形)。それ忍辱の袍を着、正直の笏を把り、三毒七難、(貪瞋痴と火難・水難・暴風雨難・刀杖難・鬼難・枷鎖難・怨賊難)を祓ひ、五濁八苦(劫濁・衆生濁・煩悩濁・見濁・命濁、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦)を救う。祭服は即ち忍鎧なり。群賊に拒んで笏を把れば則ち智剣なり。衆敵を威す。その形直にしてそのこと捥ただし。
祓具、贖物あがものは散米・幣帛・金銀鉄人の像・弓矢・大刀・小刀の類ら、みなこれ悪魔降伏の神兵の具なり。諸仏納受を垂れ、方便の神力を施し、定慧の弓箭をひいて、智慧の刀剣を摺とり、輪王釈梵(転輪王・帝釈天・梵天)東西に聘せしめ、天魔外道等南北に逃ぐ。日月・五星(金木水火土)・十二神(金毘羅 ・和耆羅・彌伽羅・安陀羅・摩尼羅・宗藍羅・因特羅・婆耶羅・摩休羅・真陀羅・照頭羅・毘伽羅 )二十八宿、光を和らげ塵に同じくして衆生を利益せんとす。誓願して掌を合わす。幣帛等は人,生々に貴きは、天地の恩、これに過ぎず。また世世に忝きは仏神の徳、これに越えず。よりてこの恩を報ずとするなり。
解除はらへの事は、神秘の祭文をもって、諸の罪咎を祓ひ清むれば、すなわち阿字本不生の妙理に帰して、自性精明の実智を顕はす。(祓というのは、神秘の祭文により罪障を祓い清めて、すべてはもともと生まれてもいないし死にもしてない、という真理に帰して、自分の本質は清らかであることを顕すものである)
しかして諸法においては、浄不浄の二を出でず。ゆえに有為は不浄の実執なり。無為は清浄の実体なり。これすなわち吾心性なり。禅定を修すればその心漸く清浄となる。これによりて謹請再拝して七座これを宣ぶれば無明住地の煩悩の泥に穢されず。流れにむかひて恭敬して、七度これに触るれば、よく池水の浪潔くして、心の源清浄なり。十煩悩の網を離れて三有の際(三界すなわち慾界・色界・無色界、における生存)に纏わることなし。これを名ずけて解除はらへ、といふ。これすなわち滅罪生善、頓証菩提の隠術なり。
大麻(おおぬさ、幣)の体相(本質と姿)は自性清浄の三昧耶(幣は自分が本来清浄であるということを顕す象徴)。普現三昧の形表なり(何処にでも現れて衆生済度するという形)。それ忍辱の袍を着、正直の笏を把り、三毒七難、(貪瞋痴と火難・水難・暴風雨難・刀杖難・鬼難・枷鎖難・怨賊難)を祓ひ、五濁八苦(劫濁・衆生濁・煩悩濁・見濁・命濁、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦)を救う。祭服は即ち忍鎧なり。群賊に拒んで笏を把れば則ち智剣なり。衆敵を威す。その形直にしてそのこと捥ただし。
祓具、贖物あがものは散米・幣帛・金銀鉄人の像・弓矢・大刀・小刀の類ら、みなこれ悪魔降伏の神兵の具なり。諸仏納受を垂れ、方便の神力を施し、定慧の弓箭をひいて、智慧の刀剣を摺とり、輪王釈梵(転輪王・帝釈天・梵天)東西に聘せしめ、天魔外道等南北に逃ぐ。日月・五星(金木水火土)・十二神(金毘羅 ・和耆羅・彌伽羅・安陀羅・摩尼羅・宗藍羅・因特羅・婆耶羅・摩休羅・真陀羅・照頭羅・毘伽羅 )二十八宿、光を和らげ塵に同じくして衆生を利益せんとす。誓願して掌を合わす。幣帛等は人,生々に貴きは、天地の恩、これに過ぎず。また世世に忝きは仏神の徳、これに越えず。よりてこの恩を報ずとするなり。
解除はらへの事は、神秘の祭文をもって、諸の罪咎を祓ひ清むれば、すなわち阿字本不生の妙理に帰して、自性精明の実智を顕はす。(祓というのは、神秘の祭文により罪障を祓い清めて、すべてはもともと生まれてもいないし死にもしてない、という真理に帰して、自分の本質は清らかであることを顕すものである)
しかして諸法においては、浄不浄の二を出でず。ゆえに有為は不浄の実執なり。無為は清浄の実体なり。これすなわち吾心性なり。禅定を修すればその心漸く清浄となる。これによりて謹請再拝して七座これを宣ぶれば無明住地の煩悩の泥に穢されず。流れにむかひて恭敬して、七度これに触るれば、よく池水の浪潔くして、心の源清浄なり。十煩悩の網を離れて三有の際(三界すなわち慾界・色界・無色界、における生存)に纏わることなし。これを名ずけて解除はらへ、といふ。これすなわち滅罪生善、頓証菩提の隠術なり。