佛遺教經の中心的教誡は「八大人覚」(はちだいにんがく)、つまり本当の大人が覚知すべき八種の法門の教えで、小欲・知足・楽寂静・勤精進・不忘念・修禅定・修智慧・不戯論の八種類。これらを守ることで悟りの境地に達することを説いている。
道元禅師も「正法眼蔵」の最後に「八大人覚」の巻を著されています。
佛垂般涅槃略説教誡經(佛遺教經)後秦龜茲國三藏鳩摩羅什奉詔譯
釋迦牟尼佛、初に法輪を轉じて阿若憍陳如を度し最後に説法して須跋陀羅を度す。所應の度者は皆已に度し訖り娑羅雙樹間において將に入涅槃せんとす。是時、中夜寂然として聲無し。諸弟子の為に法要を略説す。「汝等比丘。我滅後には當に波羅提木叉を尊重珍敬せよ。闇に遇明し貧人得寶するが如し。當に知れ、此則是れ汝が大師なり。若し我住世すとも此れに異ることなき也。持淨戒者は販賣貿易し田宅を安置し人民奴婢畜生を畜養するを得ざれ。一切種殖及び諸財寶は皆當に遠離すること火坑を避くるが如くなるべし。草木を斬伐し墾土掘地し湯藥を合和し吉凶を占相し星宿を仰觀し盈虚を推歩し暦數算計することを得ざれ。皆不應の所なり。身を節し、時に食して清淨に自活せよ。世事に參預し、使命を通致し、呪術仙藥し、貴人に結好し、親厚媟嫚するを得るざれ。皆な不應作なり。當に自ら端心正念して度を求めよ。瑕疵を苞藏し、異を顯はし衆を惑すを得ざれ。四供養において知量知足せよ。供事を趣得して應に稸積すべからず。此則ち持戒之相を略説す。戒は是れ正順解脱之本なり。故に名て波羅提木叉といふ。此の戒に依因すれば諸禪定及滅苦の智慧を生ずることを得る。是故に比丘、當に淨戒を持して毀犯せしむる勿れ。若し人、能く淨戒を持すれば是則ち能く善法有り。若し淨戒無ければ諸善功徳皆生ずることを得ず。是を以って當に知れ。戒を第一
安隱功徳之所住處と為す。汝等比丘。已に能く戒に住す。當に五根を制して放逸にして五欲に入らしむること勿れ。譬ば牧牛之人、執杖して之を視、縱逸にして人の苗稼を犯さしめざるが如し。若し五根を縱ひままにすれば唯に五欲の將に無崖畔にして制すべからざるのみに非ず、亦た惡馬の轡を以て制せざれば將當に牽人して坑陷に墜さんとするがごとし。劫害を被るがごときは苦は一世に止まるが、五根の賊禍は殃累
世に及ぶ。害を為すこと甚重なり。愼しまずんばあるべからず。是故に智者は制して隨はず。
之を持すること賊の如くにして縱逸ならざらしめよ。假令へ之を縱ひままにするとも、皆亦久しからずして其の磨滅を見ん。此五根は心を其の主と為す。是故に汝等當に好く制心せよ。心の畏るべきこと毒蛇・惡獸・怨賊より甚だし。大火の越逸なるも未だ喩とするに足らざる也。但だ蜜を觀て動轉輕躁し、深坑を見ざるが如し。譬ば狂象の無鈎なる、猿猴の得樹して騰躍跳躑して禁制すべきこと難きがごとし。當に之を急挫して放逸ならしむること無かるべし。此心を縱ひままにせば人の善事を喪ふ。之を一處に制せば事として辦ぜざる無し。是故比丘。當に勤て精進して其心を折伏せよ。
汝等比丘、諸飮食を受けて當に服藥のごとくせよ。好惡にして増減を生ずること勿れ。趣得支身以って飢渇を除け。蜂の採花するに但だ其の味を採りて色香を損ぜざるがごとくせよ。比丘も亦た爾なり。人の供養を受けて自ら惱を除け。多求して其善心を壞すことを得ることなかれ。譬ば、智者の牛力の所堪の多少を籌量して過分に以って其力を竭さしめざるが如し。
汝等比丘。晝は則ち勤心に善法を修習して失時する勿れ。初夜・後夜亦た廢あること勿れ。中夜には誦經して以って自ら消息せよ。睡眠因縁を以て一生を空しく過して無所得ならしむ勿れ。當に無常の火の諸世間を焼くを念じて早く自度を求めよ。睡眠する勿れ。諸煩惱の賊は常に伺ひて人を殺すことは怨家よりも甚し。安ぞ睡眠して自ら驚寤せざるべけんや。煩惱の毒蛇は睡りて汝が心に在り。譬ば黒蚖の汝室に在って睡るが如し。當に持戒之鉤を以て早く之を除け。睡蛇既出せば乃ち安睡すべし。不出にして而も眠るは是れ無慚の人也。慚恥之服は諸莊において嚴あなること最も第一と為す。慚は鐵鉤の如く能く人の非法を制す。是の
故に比丘、常に當に慚恥せよ。暫くも替ることを得ざれ。若し慚恥を離れば則ち諸功徳を失す。有愧之人は則ち善法あり。若し無愧の者は諸禽獸と相異ることなき也。汝等比丘。若し人ありて來りて節節に支解すとも、當に自ら攝心して瞋恨せしむること勿れ。亦當に口を護りて惡言を出すこと勿れ。若し恚心を縱ひままにせば則ち自ら道を妨げ功徳利を失す。忍の徳たることは持戒苦行も及ぶ能はざる所なり。能く忍を行ずる者は乃ち名て有力大人と為すべし。若其れ惡罵之毒を歡喜忍受して甘露を飲むが如くする能はざる者は、入道智慧人と名けざる也。所以者何。瞋恚之害は能く諸善法を破り好名聞を壞す。今世後世の人、見んことを憙よろこばず。當に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に當に防護して得入せしむる勿れ。功徳を劫むるの賊は瞋恚に過ぎたるは無し。白衣は受欲非行道の人なり。法として自制する無きは、瞋も猶ほ恕すべし。出家行道無欲之人にして而も瞋恚を懷くは甚だ不可也。譬ば清冷雲中に霹靂起火は所應にあらざるが如し。
汝等比丘。當に自ら摩頭せよ。已に飾好を捨て壞色衣を著し、應器を執持して以って乞ふて自活す。自ら見るに如是なり。若し憍慢起こらば當に疾く之を滅せよ。憍慢を増長するは尚ほ世俗白衣の所宜に非ず。何ぞ況んや出家入道之人、解脱の為の故に自ら其の心を降してしかも行乞するを耶。汝等比丘。諂曲之心は道と相違す。是故に宜しく應に其心を質直にせよ。當に知れ、諂曲は但だ欺誑を為すことを。入道之人は則ち是處無し。是故汝等。宜しく應に端心にして質直を以て本と為せ。汝等比丘。當に知るべし、多欲之人は多く利を求むるがゆえに苦惱も亦た多し。少欲之人は無求無欲なるがゆえに則ち此患無し。直爾少欲すら尚ほ應に修習すべし、何ぞ況んや少欲の能く諸善功徳を生ずるをや。少欲之人は則ち諂曲して以って人意を求むることなし。亦復た諸根の所牽とならず。少欲を行ずる者は心則ち坦然として憂い畏れる所なし。觸事餘あり。常に
不足あるなし。少欲ある者は則ち涅槃あり。是を少欲と名く。
汝等比丘。若し諸苦惱を脱せんと欲せば當に知足を觀ぜよ。知足之法は即ち是れ富樂安隱之處なり。知足之人は地上に臥すと雖も安樂と為す。不知足の者は天堂に處すと雖も亦た不稱意なり。不
知足の者は富と雖も而も貧し。知足之人は貧と雖も而も富む。不知足の者は常に五欲所牽となり、知足者は之を憐愍するところとなる。是を知足と名く。
汝等比丘。若し寂靜無爲安樂を求ば當に憒閙(かいにょう. 乱れさわぐこと)を離れ獨處閑居せよ。靜處之人は帝釋諸天の共に敬重する所也。是の故に當に己衆・他衆を捨てて空閑に獨處し苦の本を滅せんことを思ふべし。若し衆を樂ふ者は則ち衆惱を受く。譬ば如大樹の衆鳥、之に集れば則ち枯折之患有るが如し。世間縛著は衆苦に没す。譬ば老象の溺泥して自ら出る能わざるが如し。是を遠離と名く。
汝等比丘。若し勤て精進せば則ち事として難なるは無し。是故に汝等、當に勤て精進すべし。譬ば小水の常流せば則ち能く石を穿つがごとし。若し行者之心數數ば懈廢せば、譬ば鑚火するに未だ熱からずして息めば火を得んと欲すといえども火を得ること難きがごとし。是を精進と名く。
汝等比丘。善知識を求め善護助を求んは不忘念に如かず。
若し不忘念の者は諸煩惱の賊は則ち能入せず。是故に汝等、常に當に攝念在心たるべし。若し失念する者は則ち諸功徳を失ふ。若し念力堅強ならば五欲の賊が中に入るといえども所害とならず。譬ば著鎧して陣に入ば則ち無所畏なるが如し。是を不忘念と名く。
汝等比丘。若し攝心の者は心則ち定に在り。心定に在るが故に能く世間の生滅の法相を知る。是故に汝等、常に當に諸定を精勤修集すべし。若し定を得る者は心則ち亂れず。譬ば惜水之家は善く堤塘を治すが如し。行者も亦た爾なり。智慧水の為の故に善く禪定を修め
漏失せざらしむ。是を名て定となす。
汝等比丘。若し智慧あれば則ち無貪著なり。常に自ら省察して失あることなからしむ。是則ち我が法中において能く解脱を得る。若し爾らざる者は
既に道人に非ず。又白衣に非ず。名くるところ無き也。實智慧は則ち是れ老病死海を度る堅牢船也。亦た是れ無明黒闇大明燈也。一切病苦之良藥也。煩惱樹を伐る
の利斧也。是故汝等、當に聞思修慧を以て自ら増益すべし。若し人、智慧の照あれば、天眼無しと雖も而是れ明見の人也。是を智慧と名く。
汝等比丘。若し種種の戲論は其心則亂す。復た出家すといえども猶ほ未だ得脱せず。是の故に比丘。當に急ぎて亂心戲論を捨離すべし。若し汝、寂滅樂を得んと欲せば唯だ當に善く戲論之患を滅せよ。是を不戲論と名く。
汝等比丘。諸功徳において常に當に一心に放逸を捨諸すること怨賊を離るがごとくせよ。大悲世尊所説の利益は皆な己に究竟す。汝等但だ當に勤て之を行ぜよ。若しは山間に在り、若しは空澤中、若しは樹下・閑處靜室に在りても所受法を念じて忘失せしむること勿れ。常に當に自ら勉て精進して之を修せよ。無爲にして空しく死せば後に憂悔を致さん。我は良醫の如く知
病説藥す。服と服せざるとは醫の咎にあらざる也。又善導の人の善導するが如し。之を聞きて行かざるは導の過には非ざる也。
汝等、若し苦等の四諦において所疑有る者は、疾に之を問ふべし。疑いを懷きて決を求めざるを得ること無きなり。
爾時世尊如是に三唱するに人問者無し。所以者何。衆
疑無きが故なり。爾時、阿樓馱は衆心を觀察して而も白佛言、「世尊よ、月は熱からしむべく、日は冷やかならしむべし。佛説の四諦は異ならしむべからず。佛
説の苦諦は眞實に是苦なり。樂ならしむべからず。集は眞に是れ因なり。更に異る因無し。苦若し滅せば即ち是れ因滅す。因滅するが故に果滅す。滅苦之道は實に是れ眞の道なり。更に餘道無し。
世尊よ、是の諸比丘は四諦中において決定無疑なり。
此衆中において所作未辦の者は、佛滅度を見て當に悲感あるべし。若し初て法に入ること有る者は、佛
所説を聞きて即皆得度す。譬ば夜電光を見れば即ち見道を得るがごとし。若所作已に辦じて已に苦海を度す者は、但だ是念を作す。「世尊の滅度はひとえに何ぞ疾きなる哉」と。阿樓馱雖は是語を説きて、衆中皆悉く四聖諦義を了達す。世尊は此の諸大衆をして皆な堅固を得しめんと欲して大悲心を以て復た衆の為に説く。
汝等比丘。憂惱を懷くこと勿れ。若し我れ住世すること一劫といえども會って亦當に滅すべし。會ってしかも不離なるは終に得るべからず。自利利人の法、皆な具足す。若し我れ久住すとも更に所益なからむ。應に度すべき者、若しは天上・人間、皆な悉く度しおわりぬ。其の未度の者は皆な亦た已に得度の因縁を作す。自今已後、我諸弟子、展轉して之を行ぜば、則ち是れ如來法身常在して不滅也。是故に當に知るべし。世は皆な無常なり。會ば必ず離あり。憂悩を懷くこと勿れ。世相は如是なり。當に勤て精進して早く解脱を求め、智慧明を以て諸癡闇を滅せよ。世は實に危脆なり。牢強なる者は無し。我今、滅を得ること惡病を除くが如し。此是れ應に罪惡之物、假に名て身と為す、を捨つ。生老病死大海に沒在す。何ぞ智者ありて之を滅除すること怨賊を殺すがごとくして而も歡喜せざらんや。
汝等比丘。常に當に一心に勤て出道を求めよ。一切世間の動・不動の法は皆な是れ敗壞不安之相なり。汝等且く止みね。復た語を得ること勿れ。時に將に過ぎなんと欲す。我滅度せんと欲す。是れ我が最後の教
誨する所なり。
佛垂般涅槃略説教誡經
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