万葉代匠記(契沖)
「・・いろはを弘法大師の製作なりといふ事は、世にあまねくいひつたふるうへに、日本紀疏云(日本書紀纂疏 ・一条兼良著)「問、我応神時漢言東漸、倭字則起干弘法大師空海、故上古未有文字云々」。これ書に見えたる証なり。又、伝法院覚鑁上人の釈をあつめたる密厳諸秘釈の中に、「伊呂波略釈」あり。祖師の作とてこそ上人は釈せられけめ。又拾遺愚草にも後京極殿の仰せにて或る夜の時の集まりに、いろはの四十七字を句の頭にてよまれたる歌あり(拾遺愚草員外の 四十七首歌)。大権の聖者のしわざにあらずばむかしよりかくもちゐて今も手ならふ人のはじめとはせじ。五十音の中に三言をかかれたるも(四十七音としたのも)そのゆへ侍るべし。今意を得てこれを真名(漢字)とせば、色者雖艶(一句) 散奴留遠(二句) 我世誰曾(三句)将常在(四句)有為乃奥山(五句)今日越氏(六句)不見浅夢(七句)酔毛不為(八句)その義かくのことし。此の中に初めの四句は常顛倒の衆生をして覚察を生ぜしむ。四句の中に初めの二句(色者雖艶(一句) 散奴留遠(二句))は花紅葉のうるはしくにほえる色も雨にうたれ風に吹かれむなしくちることをいひて、次の二句(我世誰曾(三句)将常在(四句))の心もみなしかり。人なんぞ常にあらんと引きて人の上に帰するなり。誰か常ならんといひなるゆへなり。されど字書(「玉篇」)に「是推切、何也、不知其名也」、といへり。今もなんぞ常ならんといへば誰・何まことにおなじ心なれば誰ぞつねならんとあやしむべからず。常ならんは常にあらん也。爾何切奈となれるゆへなり。おほよそ大小乗の法門まちまちなれども、通じて最初には無常を観ずるを要とするゆへにまず無常を示せば常楽我浄の四顛倒共に一時にのぞこるなり。
次の四句(有為乃奥山(五句)今日越氏(六句)不見浅夢(七句)酔毛不為(八句))のこころは、すでに有為の諸法は畢竟無常なりと知りぬれば世上の患難をまぬかるるゆへに「うゐのおくやまけふこえて」とはいへり。おくやまとしもいふは険阻の至極に八苦をたとふるなり。「あさきゆめみじ」とは世間虚仮の法はことごとく粗浅にて夢中にさまざまの境界を見て一たびさめてみな夢なりと知ぬるうへは今更にまた見じとなり。又、うゐといふよりこれまでは凡夫をいざなひて、いざうゐのおく山をけふこえはててながく浅近の夢を見じとのたまふにあるべし。「ゐひもせず」これ此の一句をたてて佛法の玄極を示す。凡夫、無明の酒を被て無始以来生死の曠野に酔臥せりとおもへども、實は能酔の無明の酒もなく、所酔の凡夫もなくして本来ゐひもせずなり。これにつきて顕密二教の心各別なり。弘法大師は密教の祖師なれば猶秘奥の義ありて、沙石集にいへり、これぞまことの大陀羅尼なるべき。(沙石集巻五には「世間出世の道理を三十一字の中につつみて佛菩薩の応もあり神明人類の感もあり、かの陀羅尼も天竺の世俗の言なれども陀羅尼にもちひて是をたもてば、滅罪の徳、抜苦の用あり。日本の和歌もよのつねの言葉なれども和漢に用ひて思ひをのぶれば必ず感あり。まして仏法の心をふくめらんは疑ひなく陀羅尼なるべし・・」)。八句(酔毛不為)は二頌に准ぜられたるなるべし。句絶の所は初めの四句の終(「色者雖艶(一句) 散奴留遠(二句) 我世誰曾(三句)将常在(四句)」の終)、次の三句の終(「有為乃奥山(五句)今日越氏(六句)不見浅夢(七句)」の終)、後ろの一句(「酔毛不為(八句)」の終)、となれば、此の国の習にては、八句なれども実は三句なり。
それを七行になされたる梵語しらぬものの陀羅尼きかんようなるもめでたし。道家に臨兵闘者等の九字を誦し、日出東方乍赤乍黄(「日が出れば東方は乍(たちま)ち赤く、乍(たちま)ち黄」中国の出所不明の昔からの呪い文)などいひてまじなふに、よろつ゛のこと咸応響のごとくなればいはんや三密加持の妙語、何ごととしらで手本とす、童蒙も不思議の冥益ありぬべし。顕教に方便といふは空拳をにぎりて小児の啼をやむるがごとし。密教はしからず。譬ば長者に愛子あり、いときなきにおほくの黄金をあたへんとすれどもかれただ玩好の具を弄していまだこがねの寶なることをしらず。これによりて長者すなはち彼黄金をもて禽獣蟲魚等につくりてあたふ。彼よろこびてもてあそぶ。成長の時、寶なりとしれば資用のつくることなきがごとし。方便といふは玩好の具となすをいふ。まことは方便やがて真実なり。又異朝の華厳宗沙門金柯寺道(厄+殳)法師の撰せる「顕密円通成仏心要集」に密教の方便を譬ていはく、小児の病あるときは薬を腹せしめんとすれども更にうけがはず。これによりて母の妳(女性の呼称)にぬりおくに、小児薬ありとも知らず乳をふむむにちなみて頓に重病を除がごとし。「いろは」に功能あらんこと之に准ずべし。また「いろは」と名けるは論語の學爾等の例なる中に奇妙のことあり(學爾の「子夏曰く、賢を賢として色に易え、父母に事えては能く其の力を竭し」)。父母を和語に「かぞいろは」(「かぞ」は父、「いろは」は母)といふ。梵語の字母の如く和語の字母なりといふことを発端の詞にあらはされたる事、四十七言にさだまりたる和字をもて過不足なく玄妙の教となさるうへにかかる奇異の事誰の人かをよび侍らん。ただし「色者」といへる詞なるを似つか母ともいふ事やあるべき詮索なりと難ずる人侍らん。悉曇の法に達したる阿闍梨に尋ねらればいふ所を信ぜらるべし。又今ひとつの奇あり。梵語に准ずるに「伊」字に根本の義あり。伊聲これに同じ五十音の初の五音は「阿以宇恵遠」なり。「阿」字は諸法の本源なれども喉内の聲にしていまだ分明ならぬうへに聲韻を兼ねたり。「以」は喉内より舌に移て聲の転ずる初なれば根本の義あり。「阿」は種の如し(悉曇の阿の字義は本不生)。「伊」は種より生ずる根のごとし(悉曇の「伊」の字義は根)。此根茎枝葉花等の本となれば根本の聲といふ。猶さまざまの義を経にかかれたれども今は和語につきていへば につかはしきをとれり。和語ともに「伊」を発語の聲とするも、自然に此理にかなへり。此字を初めに置かるる事、悉曇の深義より出でたり。終に京の字をおかるる(いろは歌の最後に「京」の字を置いていた)ことは梵書の字母の終に異畔の字とて「乞叉」(二合)の字あり、これに准じてをかるるなり。彼の「乞叉」(悉曇ではこの梵字をキシャとよみ、尽きるという意味)といふ梵字は迦と叉の二字を合わせたる字なり。これを異体重といふ。おほよそ梵字に当体重・異体重の法あり(梵字の「重字」にランとキシャがありランの梵字は当体重、キシャの梵字は異体重という)。当体重は唐の文字にては炎の字、棗の字の如し。異体重は二字より四・五字をも重ぬる法あるがゆへに梵語を漢字に対訳して梵語を読むにあやまること多くして大仏頂陀羅尼(楞伽経・正確には「大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經」・この陀羅尼の最後に「「虎𤙣都盧甕泮(くきつりよようはん) 婆婆訶」とあり。)に「虎𤙣都盧甕泮」とあるは「虎𤙣二合」、「都盧甕三合」、「泮半音」かくのごとく注せらるべきを旧訳の三蔵粗略にして筆受潤文字の人注せざるにより、梵字なき人伝受を経ずして句読をもしらでよむほどに宋朝の訛音をもて「虎𤙣」を二合に大呼せずして「くきん」と読み、「都盧甕三合」を知らずに「都盧」を「つりよ」とよみ、「泮」の字、梵字に半音と読む事を知らず。上の甕の字に続けて「ようはん」とよめり。法華経を二重かなに「ほくえききょう」とかけるを「ほく」とよみ、下のきょうをみなかなをわりて猶上の字をつつ゛けてよまんがごとし。・・
本朝は大唐の文字をかり用といへとも、音韻はかへりて天竺によく通す。そのゆへは梵文をよむに、本朝よくかなふゆへなり。倶舎云「一切天衆皆作聖音、謂彼言辞同中印度」。西域記第二云「詳其文字、梵天所製、原始垂則、四十七言、遇物合成、随事転用、流演枝派、其源浸廣、因地随人、徴有改変、語其大較、未異本源、而中印度、物為詳正、辞調和雅、與天同音、気韻清亮、為人軌則」。
しかれは、わか国の上国なること知られたり。・・
もろこしは呉漢の二言ありて、呉音は南天竺に近く、漢音は中印度の音に近かりけるを、衰世にいたりて、北荻のために、国をうははれしゆへにや、今の唐音詳正らなすして、ききもいといやし。・・・
しかれは本朝は此国のことはの正しきのみにもあらす。唐よりつたはれる音もたたしきなり。又唐にはことはりをさきにいひて、事を後にあらはす。天竺は、事をさきにいひて、ことはりを後にいへり。わか国の法、天竺とおなし。・・天竺の文字は、梵天はしめて作るといひ、辰旦の文字は蒼頸はしめて作れり
といふは、縁起を見て、法爾常恒の理をしるさるなり。竜樹菩薩云「今始起徳、本来有故(今始めて起こる徳、本より来かた有なるが故に)」(釋摩訶衍論巻三)此文のこころを案すへし。・・・
梵字漢字につきて、一往邪正をわかてとも、再往これを論すれは、ともに法爾に出て、更に人の造作にあらす。されとも法爾はかならす因縁によりて顕はるるゆへに、鳥跡を見て本有の文字を顕はしけるを作るとはいへり。実に孔子の述而不作(論語・述而「子日く、述(の)べて作らず、信じて古(いにしえ)を好む(私は古を信じて祖述するだけであって、新説を創作しているのではない)」)とのたまへるかことし。文鏡秘府論序云「空中塵中、開本有之字、亀上竜上、演自然之文。(夫れ大仙の物を利するや、名教もて基と為し、君子の時を濟ふや、文章是れ本なり。故に能く空中塵中、本有の字を開き、亀上龍上、自然の文を演ず)」。この文の心をみるへし。これ弘法大師の私の釈にあらす。経論の明文によりて、惣持門(密教)の実義を演て、門外の教門みな実相より出ることをのたまふなり。・・・・・・当相即道、即事而真。それしからさらんや。(大師の「大日経解題」に「譬ば幻師の呪術力を以て藥草を加持し、能く種種未曾有事を現じ、五情の所対に衆心を悦可せしむれども、若し加持を捨るときは即ち皆な隱沒するが如く、諸佛如來金剛之幻も亦復た如是なり。縁謝すれば則ち滅し、機興れば則ち生ず。即事而眞(事に即して而も真なり)。終盡あることなし。故に神力加持と曰ふ。」」かるかゆえに、大日経にいはく「挙足下足、皆成密印、舌相所転、皆是真言」(大毘盧遮那成佛神變加持經卷第四に「又祕密主乃至身分擧動住止。應知皆是密印。舌相所轉衆多言説。應知皆是眞言。是故祕密主。眞言門修菩薩行諸菩薩。已發菩提心。應當住如來地。畫漫荼羅。若異此者。同謗諸佛菩薩。越三昧耶。決定墮於惡趣」)。又云。「秘密主、我が語輪の境界の廣長にして遍く無量世界に到る清浄門を観ずべし。」(大毘盧遮那成佛神變加持經卷第六・百字果相應品第二十)
善無畏三蔵(「大毘盧遮那成佛經疏巻七」に)説く「世尊、以未来世衆生鈍根、故迷於二諦、不知即俗而真、是故慇懃指事、言秘密主、云何如来真道謂加持此書寫文字、以世間文字、語言実義、是故如来即以真言実義而加持之、若出寫法性外、別有世間文字者、即是妄心謬見、是則堕於顛倒、非真言也」。
声と字と実相と、三種無二なりと知りて、よろしきに随ひて用るを、一切智者とは名付る故に、弘法大師、声字実相義をつくりたまへるを、承和官府に、東寺三業学者の中に、声明業を学ぶものの、所学の書に載せたまへり。・・・・・・
内典、外典ともに至極にいたりては、言語を離れたりとのみおもへるは、をのをのその奥義をきはめさるなり。和歌もまたこれに准すへし。よろつの奥義は誰かはきはむる人あらん。此理ありと信して、いるはりをすてて、心のをよふ所まことにつかは、神明もこれをうけたまふへし。・・」