
今月の川崎大師法話板です。「二親の恩は みを粉にしても 報じがたし(性霊集)」とあります。
「性霊集補欠章七七、仏経を講演して四恩の徳を封ずる表白」に「我を生じ、我を育するは父母の恩、高天よりも高く、厚地よりも厚し。身を粉にし命を損ずとも何れの劫にか報ずることを得む・・」とあります。「さればとて墓に布団は着せられず」とか「孝行をしたい時には親はなし」とか「風樹の嘆(韓詩外伝『樹欲レ静而風不レ止、子欲レ養而親不レ待也』)」 など古今東西親孝行のむつかしさを説いています。
お大師様に関して言えば、四国七五番『善通寺』はお大師様がお父君のお名前をおつけになったものです。高野山麓の『九度山』の由来は お大師様がお母君を慕い月に9回、高野山からおりてこられたことによるといわれています。また善通寺の「目ひき大師」はお大師様が入唐に際し母君玉寄御前に形見として池に映る自らの姿を描き贈られたものであるということです。これらの伝説によりお大師様の孝行ぶりがいまでも痛いほどよくわかります。
「性霊集補欠章七七、仏経を講演して四恩の徳を封ずる表白」に「我を生じ、我を育するは父母の恩、高天よりも高く、厚地よりも厚し。身を粉にし命を損ずとも何れの劫にか報ずることを得む・・」とあります。「さればとて墓に布団は着せられず」とか「孝行をしたい時には親はなし」とか「風樹の嘆(韓詩外伝『樹欲レ静而風不レ止、子欲レ養而親不レ待也』)」 など古今東西親孝行のむつかしさを説いています。
お大師様に関して言えば、四国七五番『善通寺』はお大師様がお父君のお名前をおつけになったものです。高野山麓の『九度山』の由来は お大師様がお母君を慕い月に9回、高野山からおりてこられたことによるといわれています。また善通寺の「目ひき大師」はお大師様が入唐に際し母君玉寄御前に形見として池に映る自らの姿を描き贈られたものであるということです。これらの伝説によりお大師様の孝行ぶりがいまでも痛いほどよくわかります。