即身成仏義
加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す。佛日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水能く佛日を感ずるを持と名ずく。行者もしよくこの理趣を観念すれば三密相応するがゆえに現身に速疾に本有の三身を顕現し証得す。・・
加持というのは如来の慈悲と衆生の信ずる心とをあらわしている。太陽の光のように仏様の力が衆生の心の水に映るときにこれを「加」といい、衆生の心が澄んでいて仏様の光を感じ取るのを「持」という。行者がこのことを理解すれば仏様の身口意と行者の身口意が一致するので行者は生身の体に速やかに法身・報身・応身の仏の三身の徳を体得することができ、またこれを顕すことになる。
加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す。佛日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水能く佛日を感ずるを持と名ずく。行者もしよくこの理趣を観念すれば三密相応するがゆえに現身に速疾に本有の三身を顕現し証得す。・・
加持というのは如来の慈悲と衆生の信ずる心とをあらわしている。太陽の光のように仏様の力が衆生の心の水に映るときにこれを「加」といい、衆生の心が澄んでいて仏様の光を感じ取るのを「持」という。行者がこのことを理解すれば仏様の身口意と行者の身口意が一致するので行者は生身の体に速やかに法身・報身・応身の仏の三身の徳を体得することができ、またこれを顕すことになる。