心の時間の紀三井寺管主、前田孝道師の話です
[・・・私が紀三井寺の貫首に就任しまして間もない頃でございます。昭和三十六年だったと思うんですが、一つ小包が届けられました。非常に重たい小包でございまして、差出人を見ても、心当たりがない。おそるおそる、小包を開けて見ますというと、中から書籍が出ました。「新比較婚姻法」という見たことも、聞いたこともない、私が注文した覚えもない本が四冊出て参りました。私がその中の一冊を手に取った時膝の上に手紙が一通、パタッと落ちました。その手紙を開いて見るというと、宮崎孝治郎という北海道大学法学部の教授をなさっておられる方からの手紙でございまして、それを読んで行くというと、「私は、若い頃に、紀三井寺へお詣りをしたことがございます。聞くところによると、紀三井寺の観音様というのは、大変あらたかな観音様だということです。私はこれから学問の道を一生歩み続けて行こうと思います。どうぞ自分の学問を成就さして頂きたい。私を守って頂きたいということを、その時に、お願いしました。そして私は法律の関係の畑を、ずっと歩んで参りました。そして一生かかって、世界各国の婚姻法、結婚する時の、いろんな法律について、知識を各国から取り寄せました。私の書斎には、婚姻法の各国の資料が、うず高く、積み重なっていって、研究の成果が、段々段々積もって参りました。しかし、このまま置いていたんでは、やがてその資料は散逸してしまうだろう。だから、必ずこれを印刷して、本にしなければ、今までの努力は、みな水泡にきしてしまう。しかし、これを書籍として出版するためには、相当な費用が必要です。どんどん売れていくものでもないし、大衆性のあるものでもないので、専門書としては、なかなか売れない。だから、どの出版社も、では私の方でやりましょうというところはなかった。自費出版しょうと思えば、自分にはそれだけの費用が出せない。
それで、非常に悩んでおりまして、どうしたもんであろうか、今まで一生懸命これだけ励んで、この研究を進めて来たけれども、このままではいけない、このままではいけないと思っておりましたところが、文部省で、学問研究の成果の実りある人に、報奨金が出ることになって、私の研究が、その選に通って、私は報奨金を頂戴することが出来るようになった。それで出版社の方も、そういうことだったら、私の方で出しましょうという、出版社も現れて、やっと出版することが出来ました。思いますに、今から、二十数年前に、私は紀三井寺へお詣りして、観音様にあの時、ああいうふうにお願いした、そのお陰があって、いまこの書籍を出版することが出来た。それでまず最初に私の手許に届いた一組を紀三井寺の観音様へお供えして欲しい。」こういう手紙でございまして、その中に、金一封が入れられてございました。私はもう本当に吃驚(びっくり)し、感動しまして、即座に観音様のご法前に、その四冊の書籍をお供えして、報告のお勤めをさせて頂いたのでございます。これなんかは、本当にその人のご努力もありますけれども、不思議な観音様のお話ではないかと思いますね。・・・]
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